主人公はなにを“求めて”いた?『ムーンライト』『マネー・ショート 華麗なる大逆転』【小説家・榎本憲男の炉前散語】
日常から旅立った主人公は、非日常のフェイズに突入する。ここで生じるのが【葛藤】です。たいていのシナリオ教室ではそのように教えています。けれど、日本人はこの【葛藤】ってのがよくわからない。だいたい日本映画には、どこに葛藤があるのか判然としないものも少なくありません(その理由もおいおい話したい)。なので、この言葉をちょいと薄めて【混沌】とか【宙ぶらりんの状態】だと説明すると理解しやすいかも知れません。ともあれ、<日常⇒非日常⇒日常>というたった一つ構造を、さまざまなバリエイションで展開していくのがストーリーです。そして、これは三幕構成と呼ばれ、機能的に解説すると次のようになります。
第一幕(ACT1) 状況設定 旅立ち 非日常世界への突入まで
第二幕(ACT2) 葛藤(混沌 宙ぶらりん)
第三幕(ACT3) クライマックスと解決 日常への帰還
このなかでは状況設定がとても重要です。では状況設定とは何を設定すれば状況設定ができるのでしょうか?それはなにはともあれキャラクター設定、とりわけ主人公を設定することです。では、なにを設定すればキャラクターを設定できるのか。もったいつけずにどんどん答えを言ってしまうことにしますが、“欲しいもの”(want/need)を設定することです。言い換えると、ストーリーとは日常から旅立った主人公が“欲しいもの”(want/need)を求めて旅立ち、非日常空間と時間で悪戦苦闘し、そして日常に戻ってくる、この一連のプロセスだと言えます。第三幕のクライマックスは“欲しいもの”(want/need)が得られるか得られないかの瀬戸際だと理解するといいでしょう。
時代の変化とともに、複雑化してきたストーリー
つまり、ストーリーは主人公の欲望で駆動され、欲望に帰着するのです。そして、ここに現代的な映画の難しさと魅力もあると言えます。複雑化した現在において“欲しいもの”もまた複雑化し、多層化します。アート系の作品になるとこの傾向が顕著になります。エンタテインメント系の作品では『ロッキー』(76)の“欲しいもの”は「チャンピオンに勝つ」でシンプルです。『E.T.』(82)のテーマは「宇宙船に乗り遅れた宇宙人を故郷に帰してやること」で明解です。Netflixの大ヒットドラマの「イカゲーム」の主人公は金が欲しくてヤバいゲームに参加します。これもわかりやすい。
けれど、さきほど挙げた『ムーンライト』の主人公の“欲しいもの”(want/need)はなんでしょうか。『マネー・ショート 華麗なる大逆転』の主人公の“欲しいもの”(want/need)は金(マネー)のように見えますが、なぜスティーヴ・カレルは勝利しても苦悶に満ちた表情をしているのでしょう?「1」で大金を手に入れた主人公の「イカゲーム シーズン2」における“欲しいもの”(want/need)はなんでしょう?
ストーリーに問題ありと感じられるとき、主人公の欲望の設定にあることがとても多いと僕は思います。そしてそのようなリスクは現代のストーリーではますます高まってきていますし、そこにこそ魅力があると僕は思うのです。
文/榎本 憲男
1959年生まれ、和歌山県出身。小説家、映画監督、脚本家、元銀座テアトル西友・テアトル新宿支配人。2011年に小説家、映画監督としてデビュー。近著には、「アガラ」(朝日新聞出版)、「サイケデリック・マウンテン」(早川書房)、「エアー3.0」(小学館)などがある。「エアー2.0」では、第18回大藪春彦賞の候補に選ばれた。映画『カメラを止めるな!』(17)では、シナリオ指導として作品に携わっている。