『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』21世紀のアメリカ映画を背負うジェームズ・マンゴールド監督、その深層にある“作家性”【宇野維正の「映画のことは監督に訊け」】
「“正義”と“愛”と“自由”ならばあなたはなにを選びますか?」(宇野)
――言われてみれば、それはローガンやインディ・ジョーンズの人物像や生き方にも通じますね。
マンゴールド「そうです。私は同じテーマ、同じ闘いを繰り返し描いてきました」
――『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』で印象的だったのは要所要所で響きわたるエンジン音です。冒頭、ディランはヒッチハイクした車に乗って登場し、中盤からは大排気量バイクのボンネビルT100のエンジンを高らかに鳴らしながら移動し、最後も彼はオートバイに跨ってエンジンの音と共に我々の目の前から走り去って行きます。あのエンジンのサウンドはなんの象徴なのでしょうか?
マンゴールド「私はそれを“自由”と結びつけています。自由とは、判断からの解放であり、責任からの解放です。そして、目の前に広がる道は自由のメタファーです。彼はどこへ向かうのか? 次はどこで止まるのか? それは誰にもわかりません。彼を引き留めるものはなにもないのです。同じように、作品の冒頭で彼がどうしてこの場所で止まったのかの理由も明示していません。彼はなぜここにいるのか?ウディ・ガスリーに会うため? でも、彼はガスリーに会うためになにかの計画を練ったわけではない。お金もなく、仕事もない。彼はただ自由なのです。持っているのは、ただ自分の歌だけ」
――これは友人とよく話す言葉遊びなのですが、 “正義”と“愛”と“自由”ならばあなたはなにを選びますか?
マンゴールド「自由ですね」
――そう答えるだろうと思いました(笑)。
マンゴールド「あなたはなにを選ぶんですか?(笑)」
――愛です(笑)。
マンゴールド「でも、自由がなければ、愛は成り立たない。人は自由であるからこそ、誰かを愛することができるんじゃないでしょうか」
――(笑)。ところで、あなたのXでのポストでとても印象に残っているのが、昨年11月、『フォードvsフェラーリ』などで助監督を勤めていたアダム・ソムナーへの追悼文でした。
マンゴールド「ああ…そうですね、彼が亡くなったことは、自分にとっても映画界にとっても、とても大きな損失でした」
――映画ファンとして、あるいは映画ジャーナリストとして、私たちは役者だけでなく多くの監督やプロデューサーや撮影監督や編集者などのプロフェッショナルの名前を覚えて、映画を見る時の手がかりにしています。でも、アダム・ソムナーのような人物については、彼が亡くなって、あなたをはじめとするその訃報に対するリアクションから、初めてその偉大さを知ることになります。そういう時、自分はまだ映画についてなにもわかっていなかったんじゃないかという気持ちになるんです。
マンゴールド「マーティン・スコセッシ、スティーブン・スピルバーグ、リドリー・スコット、トニー・スコット、ロバート・レッドフォード、ポール・トーマス・アンダーソン、スティーブ・マックイーン…そして、幸運なことに私も少しだけ。彼は本当に多くの監督と多くの作品で仕事をしてきました。助監督の仕事は極めて重要なものでありながら、しばしば誤解されています。“アシスタント・ディレクター”という言葉から、コーヒーを運んだり電話をかけたりする役職だと思われがちですが、実際には映画撮影の現場を仕切っているのは彼らなんです。彼らはエキストラの指導をしたり、カメラの配置を手伝ったりと、毎日の撮影がスムーズに進むように撮影全体を支えています。アダムがこれほど多くの偉大な映画監督と仕事をしてきたのは、決して偶然ではありません。彼と一緒に働いた私たちは皆、彼がどれだけ私たちに貢献し、彼の存在によってどれほど自由に創作ができたかについて知っています。彼がいたからこそ、撮影現場が円滑に機能したのです。彼は単に仕事に厳しい人だったわけではなく、とても魅力的な人柄を持っていました。そして、なによりも私たちがなにを望んでいるのか、なにを映像化しようとしているのかについての深い理解があった。彼は私たちのビジョンをスクリーンで現実のものにするために尽力してくれたのです」
「ティモシーには演技、特に映画の大きなスクリーンの中での演技に対する、生まれ持った理解力があります」(マンゴールド)
――今作の取材ではもう散々質問をされてきたと思うので敢えてここまで避けてきたのですが(笑)、最後に、ティモシー・シャラメについても訊かせてください。今回のインタビューであなたは超越した存在、天賦の才に恵まれた人に強い関心があると話してくれましたが、今作で演技だけではなく歌においても信じられないようなパフォーマンスを披露していた彼も、間違いなくそのグループに属する一人ですよね?
マンゴールド「そうですね。ティモシーには演技、特に映画の大きなスクリーンの中での演技に対する、生まれ持った理解力があります。仕事として長年映画監督をしていると、そういう俳優と出会ってカメラを向けた瞬間、それがすぐに分かるんです。一部の俳優は、まるで魔法のように映画のフレームの“長方形”のサイズを意識した所作を身につけています。自分が全体のフレームの中でどこに位置しているのか、どの角度から光が当たっているのか、そこでどのように動けばいいのかを本能的に把握しています。これは偶然ではなく、単なる幸運でもありません。彼らはこの“長方形”の映画の世界を的確に捉える才能があり、監督がなにをしようとしているのかを一瞬で理解し、それにどう貢献できるかを察知します。ティモシーとの撮影では、会話はあまり必要ではありません。言葉を交わさなくても、彼はすべてを自然にやってのけるんです」
――残念なことに、予定された取材時間を過ぎてしまったようです。
マンゴールド「とても興味深い質問ばかりで本当に楽しかったです。ありがとう」
取材・文/宇野維正