過激すぎて雑誌が発禁!?伝説の名物編集者・末井昭の生き様がヤバすぎる!
2013年に発売した著作「自殺」で第30回講談社エッセイ賞を受賞し、以降「結婚」、「生きる」などの作品を発表し作家、エッセイストとして様々なメディアで活躍中の末井昭。名物編集者でもあった彼は、数々の雑誌を世に送り出し、業界内で様々な“伝説”が語り継がれてきた人物だ。そんな彼の半生をつづった自伝的エッセイの映画化『素敵なダイナマイトスキャンダル』が3月17日(土)より公開される。
なぜ一介の雑誌編集者の半生が映画になるのか。彼の半生には文字通りの“事実は小説より奇なり”なエピソードが多数存在するからだ。1948年、岡山県に生まれた末井は7歳のころに母親を亡くしているのだが、その理由が隣家の男性とのダイナマイト心中だというから驚きだ。
そして10代後半~20歳には工場勤務のかたわら、デザイン学校の夜間部へ。その後、都内のキャバレーなどの看板をデザインしていたところ、友人からの誘いで成人向け雑誌へイラストを寄稿することに。仕事はいつしかイラスト以外にも表紙デザインや取材なども任されるようになり、75年には27歳の若さで雑誌「NEW self」の編集長に就任する。
ここまでの道のりもなかなかめまぐるしいが、末井の人生はここからさらに破天荒に。末井は編集長として「NEW self」で既存の成人向け雑誌とは一線を画す誌面を展開。洗練されたデザインはもちろん、南伸坊や赤瀬川原平、田中小実昌などの書き手を巻き込んで当時のサブカルチャーを象徴するような雑誌を作る。
しかし誌面の中で女性器の名称が36か所も出てくることから猥褻文書販売容疑で摘発。「NEW self」は発禁となってしまう。その後、編集長として立ち上げた雑誌「写真時代」も、猥褻な写真を掲載したことから警察からガサ入れを受けて発禁処分に。
雑誌作りと警察による指導に追われながらも、先物取引に手を出したり、新入社員の女の子に恋をしたりと波乱の人生は続く…。そんな彼が40歳で迎えた転機とは?昭和カルチャーの風雲児と言われた彼の、壮絶な生き様の全貌は、映画『素敵なダイナマイトスキャンダル』で確認してほしい!
文/トライワークス