今年のカンヌが“改革の年”だった理由とは?カンヌ国際映画祭ハイライト
是枝裕和監督の『万引き家族』(6月8日公開)が最高賞のパルムドールを受賞し、日本中に喜びのニュースがあふれたカンヌ国際映画祭。Neftlixとの確執や女性の存在感のみならず、はっきりと改革色が見えたカンヌとなった。その歴史を紐解きながら、今年のハイライトを振り返る。
今年で第71回を数えたカンヌ国際映画祭だが、2015年に、ピエール・レスキュールがジル・ジャコブのあとを継いで会長になってから3年。マイナーチェンジ、といってもかなり特色を出してきてはいたレスキュール色がより明確に表れたのが、今年のカンヌである。なぜ第70回という節目ではなく、中途半端な第71回に改革色をはっきりさせたのか。その疑問が解けたのは、今年が「監督週間」部門の設立50周年であるということに気がついた時である。今年は1968年から50年、半世紀が経った記念イヤーなのだ。
1968年のカンヌ映画祭は、ジャン=リュック・ゴダール、フランソワ・トリュフォーなど、ヌーベルヴァーグ派の若い映画作家たちによって会期途中で粉砕された。学生たちや若いシネフィルたちは作家たちに触発されて、当時のメイン会場である現在の「監督週間」会場前の道路に座り込んだのだ。彼らの訴えは、カンヌ国際映画祭がブルジョア的で、通俗的で、若い作家たちを評価せず、時代を反映する気がない、それをどうにかせよということだった。その結果、翌年から設けられたのが「監督週間」であった。
カンヌを粉砕した若い作家たちが壊そうとしたのが、スタジオシステムによる昔ながらの映画作りだった。文学や演劇の伝統が強いフランスで、映画は文学的演劇的な脚本や台詞・演技を重んじ、監督になるにはスタジオに入り修行を積むといういわば徒弟制であった。そんなシステムから映画作りを解放し、映画を映像で語る新しい芸術として確立し、社会の動きや若者の動向を反映させたものに変えていこうとしたのである。
それから50年。2018年、映画とはなにか、映像で語るとはどういうことか、時代を反映し、若者の動向と社会の動きを反映させた映画祭とはどうあるべきか…。それを映画祭の改革として押し出していこう、というのが第71回のカンヌなのである。
そしてその象徴として、コンペティションに招かれたのがジャン=リュック・ゴダールの新作だった。かつて映画祭粉砕を叫び、旧態依然のフランス映画界を批判し、より政治的に先鋭化し、より映像的に前衛化していったゴダールである。ヌーベルバーグの朋友たちが彼のそばを離れ、商業的にも成功を求めていったのと対照的に、政治的にも映像芸術的に前衛作家として独自な道を歩んできた、ゴダールである。
87歳のゴダールは残念ながらカンヌ入りすることは出来なかった。しかし前代未聞の、スマホを使った“ビデオ通話記者会見”をしかけてきた。ゴダールの来場がないとわかった時点で会見を諦めた記者も多かったのだろう。空席もちらほら見受けられる会場で、スマホの画面に見入る記者たちの図は、未来的、というか60年代SF的であり、そして2018年の象徴であった。
今年のコンペティション、前半11本の作品で目立ったのは"社会派"の作品である。経済格差、差別、独裁と右傾化する政府、反体制的とされて抑圧される文化、ISISとの戦い、反グローバリズム、虐待される女性、壊れていく家族…。国や民族から家族という小さな単位まで、いま世界が直面している様々な問題が、劇映画という形で観客に問いかけてくる作品ばかりである。
もともとカンヌのコンペ作は「時代にコミットする」作品が多い。けれど、こうも集まるというのはさすがに珍しい。もちろんそれは現在の世界がそれだけたくさんの問題を各方向に抱えているからであるし、右傾化独裁的な政権を支持する人々と反対する人で国を二分している国、しかも大国が反対意見を持つ人々への抑圧を強めているという事情があるからである。
その象徴として、コンペ出品監督であるイランのジェファール・パナヒ監督、ロシアのキリル・セレブレンニコフ監督が出国を拒否され映画祭に参加できなかったことがある。映画祭はこの処置に対してイラン・ロシア両政府への働きかけと抗議をおこなっている。映画祭に参加している各国の監督たちも同様である。
そんな社会派の作品の中で、ジャーナリストからの評価が高かったのがポーランドの『Cold War』やロシアの『LETO』、そして『万引き家族』だ。『Cold War』は『イーダ』(13)でアカデミー賞外国語映画賞を受賞したパヴェウ・パヴリコフスキ監督の作品で、冷戦下の1949年から1964年の間、政治に翻弄されながら愛を求めていく音楽家の恋人たちを描いている。美しいモノクロの撮影も高く評価された。『LETO』はキリル・セレブレンニコフ監督の作品で、80年代初めソビエト・レニングラードのロックシーンを描いた音楽映画であり、青春映画である。こちらもモノクロで撮影されている。
政治や体制に翻弄される恋人たちやアーティストを描いた2本に対し、『万引き家族』は社会の小さな単位である家族から現代日本の抱える問題を照射している。それは各国の家族にもどこか普遍的に通じるものであり、つまり観た人が身近に感じられる作品である。
ジャーナリストや評論家の評価と審査員の出す結果が一致するとは言えないカンヌ映画祭だが、期待に応えて『万引き家族』がパルムドールを獲得とあいなった。
取材・文/まつかわゆま