安田顕、『母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。』は人生の節目で思い出す映画

インタビュー

安田顕、『母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。』は人生の節目で思い出す映画

『母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。』で主演を務めた安田顕
『母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。』で主演を務めた安田顕

冒頭、母親の葬儀から始まる本作。サトシがなぜ「遺骨を食べたい」と思うまで、母を愛したのかが、過去に時間をさかのぼって紹介されていく。少年時代から泣き虫で、大病も患ったサトシを常に励ましてきた肝っ玉母さんの明子(倍賞美津子)。そんな明子の病が発覚してからは、家族や恋人の真里と共に、闘病中の母に寄り添ったサトシ。そして母と別れて1年後、サトシは母から思いがけない贈り物を受け取ることになる。

メガホンをとったのは『日日是好日』(18)の大森立嗣監督で、宮川サトシの故郷である岐阜県でロケを敢行した。安田は原作を読み、実際に宮川と妻子に会っただけではなく、明子が使っていた母子手帳や、本作で重要な役割を果たす宮川の手紙も見たので、そこから強いインスピレーションを受けたそうだ。目指したものは、原作が持つ温かみのある人間ドラマだった。

「ロケ地に宮川さんと奥さん、娘さんが手をつないで歩いていらして。それを見ただけでもう十分でした。病気というものの辛さや怖さから逃げることはできないし、向き合うしかない。でも、本作では去っていった人の温かさや、残された人々の生活までを大切に描かないと、観てくれる人には届かないと思い、そこを心に留めて取り組みました」。

子どもの頃から病気がちで泣き虫だったサトシ(安田顕)は、いつも優しくパワフルな母(倍賞美津子)に救われてきた。
子どもの頃から病気がちで泣き虫だったサトシ(安田顕)は、いつも優しくパワフルな母(倍賞美津子)に救われてきた。[c]宮川サトシ/新潮社 [c]2019「母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。」製作委員会

倍賞美津子が演じたバイタリティあふれる母親の、エネルギッシュな愛も観る者の心を打つ。安田は何気ないシーンの端々に、倍賞の俳優としての年輪を感じ取り、何度も感心させられたという。

「例えば、サトシに重大な病の疑いがあるという学校からの知らせを受け取った時の倍賞さんの表情がすばらしい。一旦手紙を読み終えて考え、振り返って息子を見るんです。その仕草一つを取っても、サトシを思う心のひだがいっぱい伝わってくるんです」。倍賞は、取り乱すような大げさなリアクションはせず、息子に目を向ける。手紙の内容にショックを受けつつ、息子の体を心から心配している様子がうかがえる。

母が亡くなる間際に、涙でぐしょぐしょになったサトシが、彼女の耳元で「愛しとる」と繰り返し言うシーンが泣ける。そこにモノローグで「ありがとう」「ごめんね」といった、サトシの伝えきれない母への積年の想いが被せられていく。

「あのシーンは、撮影前に大森監督と『お母さんにまだ、ごめんねと言ってないですよね』という話になりました。それで、モノローグをしゃべる時、ここで『ごめんね』を入れてくださいということになったんです。あそこで本来は、声に出して『ありがとう』『ごめんね』と言わなきゃいけないと。でも、いざ言おうとしたら、グッと来ちゃって言えなくなってしまって、何回か言い直したことを覚えています」。

妻・明子のことを案じる父・利明(石橋蓮司)
妻・明子のことを案じる父・利明(石橋蓮司)[c]宮川サトシ/新潮社 [c]2019「母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。」製作委員会

また、父・利明役の石橋蓮司からも、多くを学んだという安田。印象的なのは、明子が亡くなったあと、父とサトシ、兄・祐一(村上淳)が3人で海へ行くシーンだ。

「サトシと兄がすっぽんぽんになって海に入っていくんです。そのあと、父がどうするか。その蓮司さんの佇まいを見るだけで泣けちゃう。倍賞さんもそうですが、所作一つを見ているだけで『ああ、これは映画的だな』とうなってしまう。本当にすばらしかったです。また、大森監督も役者さんにすごく寄り添ってくださる方。モニターは見ず、役者の芝居を見て、一緒に動いてくれます」。

映画の後半には、あるサプライズがあり、直筆のメッセージが映像と共に展開されていく。そのなかの「死にはエネルギーがある」という言葉が胸に刺さる。

「遺骨も遺品も、死んだ人が遺してくれたもので、ある種のパワーが宿っていると思います。実際、宮川さんのお母さんの母子手帳を見せてもらった時、そこからすごいエネルギーを感じました。それらを受け継ぎ、息子である宮川さんがまた子どもに伝えていく。すごいことだなと感じました」。

人懐っこい笑顔が最高の安田顕
人懐っこい笑顔が最高の安田顕

安田にとって、とても思い入れ深い現場になったことは、撮影後のこんなエピソードからも伝わってきた。「撮影が終わったあと、ペットショップに行って犬を飼ったんです。生後2か月の女の子だったんですが、その子が映画のロケ地だった岐阜の大垣市出身だったので、決めました。そういう意味でも本作は、この先、節目節目で思い出す映画なのかなと。本当にすごくいい現場でした」。

取材・文/山崎 伸子

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