子どもは、いつだって“のび太の想い”に自分を託す【辻村深月×むぎわらしんたろう「映画ドラえもん」特別対談】
――今回の映画では、物語の後半で鮮やかな伏線回収の瞬間があり、まるで大人向けのミステリを読んでいるような雰囲気もありました。映画を観る小さな子どもたちに向けて、このあたりの「難易度調整」は、脚本執筆時にどう意識されましたか。
辻村「私がはじめて映画館で観た『ドラえもん』は、小学校に上がる年の86年3月に公開した『のび太と鉄人兵団』なんですが、それ以前から『のび太の宇宙開拓史』や『のび太の海底鬼岩城』を繰り返しビデオで観ていました。でも、話の内容を完全に理解していたかというと、必ずしもそうではなかったんです。だけどそれでも、『海底鬼岩城』でバギーちゃんが飛び込んでいくところで涙が出たり、スネ夫とジャイアンが深海に放り出されて死んじゃうかもしれない、どうしよう!とハラハラしたり、その時の感情がちゃんと映画についていっていました。あとは、『のび太の魔界大冒険』で石像になったドラえもんとのび太がドサって空から落ちてきたところが怖くてすごく印象に残っていたり」
――でも、どうしてそういう展開になるのか、シーンの意味までは理解できていなかったと。
辻村「そうですね。でも時を経て、小学校の中学年以降に観返したとき、ものすごく好きだったそれらのシーンの、ストーリー上の意味がハッとつながってわかったんです。そこが藤子先生の本当にすごいところ。大人が観ても穴がない、整合性のとれた完璧なストーリーだけど、個々のシーンに帯びる物語上の意味がわからなくても、ちゃんと楽しめるようにできているんです。ギミックが、単にストーリーを成立させるだけのパーツになっていない。細部や伏線それ自体が、独立して楽しいんです。それが映画ドラえもんの醍醐味でもあると思います。それに気づいた時、藤子先生が子どもに向けていかに本気で物語を描いてくれていたか、私たち子どもを舐めずに全力で向かってきてくださったかを実感して、とても幸せな気持ちになりました。だからこそ、私も全力で、と思ったんです」
――たしかに今回も、クライマックスに至る仕掛けを子どもたちが仮に理解できなかったとしても、月に住む “ムービット”たちの世界やスペクタクルを見ているだけで十分楽しめますね。
辻村「初見ではわからなくてもいいんです。ただ、もうちょっと大きくなってから2回、3回と観てほしい。1回目は『のび太のズボンがずり下がっておもしろかった!』って記憶だけで、もうまったく構わないので(笑)」
――親子連れが来場していた東京国際フォーラムの完成披露試写会で、そのシーンは大爆笑の渦でした。
辻村「よかった! ちゃんと子どもたちが笑ってくれていると、あ、届いたって実感できてうれしいですね。とにかく、かつての私のように“2度出会える”のが『映画ドラえもん』のいいところなので、まずはなにも考えずに観てもらえたらうれしいですね」
敵は容赦ない「悪」
――今回の敵・ディアボロは、近年の映画ドラえもんには珍しく、100パーセント「悪」でしたね。
辻村「そこに気付いてくださったんですね! うれしい! よかったー!」
――シリーズを振り返ってみても、『のび太の日本誕生』(89)のギガゾンビに並ぶ、問答無用で最悪の敵です。
辻村「いまいろんなマンガや小説に出てくる敵キャラって、『悪』か『闇』で言うと、『闇』が描かれることが多いと感じるんです。本当は善の心があったけど、『闇落ち』してこうなったとか、悪役なりの正義があるとか。私自身、普段の小説を書いているとどうしてもそういう描き方になります。けれど、藤子先生が描いてこられた多くの大長編では、敵は絶対に許せない強大な悪。そこに児童マンガであることの圧倒的な覚悟と意味があるような気がしたんです。でも『悪』を描くのって実は相当に難しい。だからこそ、今回は、私も交渉の余地なしで倒さなきゃいけない敵にしようと。『のび太の魔界大冒険』(84)のデマオンくらい、こいつには言葉通じない!レベルを目指しました。容赦ない『悪』を書けたと思います」
ぜひ、ドラえもんたちの〝6人目〟の仲間に
――一連の『映画ドラえもん』シリーズには、社会批評的な側面も見られるように感じます。戦争に苦しめられる人々がたびたび登場しますし、『のび太のアニマル惑星(プラネット)』(90)や『のび太と雲の王国』(92)は環境問題が前面に出ていました。今回も、「迫害される難民」や「他国を侵略する独裁者」といった要素が見受けられます。
辻村「世界の『いま』を反映したというよりも、『ドラえもん』という作品全体に流れている普遍的なテーマを、ただただ盛り込んだ結果こうなった、という感じです。結果的に、その時代ごとの『何か』が作品ににじみ出てくるように感じるのは、見る人それぞれが『ドラえもん』にその時々の自分の現実を反映するからかもしれないですね」
むぎ「藤子先生は『地球を守ろう』みたいな気持ちはあったにしても、べつに“文科省推薦”みたいなものを描きたいと思ってはいなかったです。毎回、あくまで子供が楽しめる話にしようというお考えのなかで、『雲の王国』や『アニマル惑星』の設定が生まれた。強いメッセージ性というよりも、子供が見た時に『あれ?』って興味を惹かれる。あくまで、おもしろさの部分を先生は重視していたのだと思います」
辻村「作品として『人としての大事さ』とか『社会としてどうしていくべきか』が大きく打ち出されていたとしても、のび太はのび太で、いつも個人なんですよ。『社会が』『人間が』のなかにはもちろんのび太も含まれますが、多くの子どもたちは、いつだって『のび太個人の想い』に自分を託すと思うんです。今回のゲストキャラのルカとのび太の友情も、二人の友情だけど、観ている人たちにものび太を通じてルカと友達になってほしい。仲間を助けるんだ、とドラえもんたち5人が気球に乗り込む時、観ている人にもぜひドラえもんたちの6人目の仲間になって、一緒に冒険の旅に参加するような気持ちで映画を観てもらえたら、とても嬉しいですね」
取材・文/稲田 豊史