斎藤工、『麻雀放浪記2020』への思いを告白「社会に抗うことは、映画が持つ役割の1つ」
そういうエッジの利いた作風と反し、白石監督の穏やかな人柄に、斎藤は驚いたようだ。
「初対面の時からそうでしたが、鬼監督とは対極にある、めちゃくちゃマイルドな方です。映画監督は、スタッフやキャストをプロジェクトという船に乗せて、楽しんでやってもらうことが一番大事だと僕は思っていますが、白石監督はそのスペシャリストです。『誰も観たことがない、とんでもない映画を一緒に作っていこう』と白石監督に誘われたら、とりあえずその船に乗りたい!と思ってしまいます。乗ったら乗ったでもう逃げ場はないから、あとは自分の役割をしっかり果たす、それだけです」。
平成が終わるいまだからこそ、1945年の戦後と、未来の戦後を両方描くことの意義も斎藤は感じている。
「僕は最近の若い方たちを観ていて、とても古風で昭和的なものを感じています。彼らはデジタルの時代に生まれたのに、なぜかアナログ的なものに興味を惹かれている。もしかすると、彼らの本能がそういう危機感を察知しているのかもしれない。例えばCDは売れないけど、ライブへ行く人が増えていたりと、人が集まるところにはちゃんと出向いている。逆に『若い世代は…』とか『昭和は、昔こうだった』とか言っている僕たちの世代のほうが外に出ていなくて、同じ場所にいる気がします」。
本作では、1945年を生きていた坊や哲が、2020年の戦後を生きている売れない地下アイドルのドテ子と出会い、精神的につながっていく。「坊や哲はアナログの象徴で、ドテ子はいわば、鬱屈した時代のしわ寄せみたいな弱者の象徴です。彼女は、坊や哲から一攫千金を狙わないといけない時代の“圧”みたいなものも感じとっていきます。台本を読んだ時、一見、荒唐無稽な設定だと思ったけど、実は僕たちが生きているいまを描いているとも思いました」。
ドテ子役は、姉妹音楽ユニット、チャラン・ポ・ランタンのボーカル・ももが演じた。斎藤はももについて「これまで一人芝居などを経験されていて、ものすごく実力がある方。すごくアナログ的なフィルムの匂いがする方でした」と太鼓判を押す。
また、斎藤は、人間同士の関わり方だけではなく、“戦後”の描かれ方についても、絵空事とは思えないリアリティを感じたそうだ。
「ちょうど佐藤佐吉さんが脚本を執筆していたのは、Jアラート(全国瞬時警報システム)が鳴りまくっていた時期だったそうです。僕たちは戦争というものにとても距離感を感じてきた世代なので、日常であのサウンドが鳴ると、一瞬ドキッとするような危機感を感じますよね」。
Jアラートと言えば、東日本大震災発生時や、北朝鮮の弾道ミサイル発射時に流されたのが記憶に新しいところだ。「台本には、戦後という時代がちゃんと練り込まれていて、とても興味深かったです。でも、戦争なんて起きないだろうと思っている僕たちのほうが実は恐ろしいと思っています」。
斎藤が構想10年、映画化を熱望していたという『麻雀放浪記2020』。聞けば聞くほど、早く本編を観たくなる。予告編には「ボーッと生きてんじゃねえよ、ニッポン」とあるが、本編を観れば、ガツンと喝を入れられそうだ。
取材・文/山崎 伸子