愛を渇望するまなざしがせつない…『存在のない子供たち』が描く子どもたちの“強さ”と“もろさ”
「撮影中はゼインのことも自分の息子のように感じて」
ラバキーがスタッフに与えたミッションは、いまの社会のシステムの中で“見えざる者”として扱われている出演者たちに「光を当て、可視化する」こと。大勢の人がごった返す市場やストリートでのロケでは、スタッフそれぞれが目立たないように人混みの中にまぎれるという手法を取った。そうした彼女ならではの撮影方法は、とりわけ子どもたちの自然体かつ観る者の胸を打つ健気な姿、子どもの本質である強さともろさをヴィヴィッドに映し出すことに成功している。
「主演のゼインと私の息子は、撮影期間中すごく仲良くなりました。ゼインは息子より何歳も年上なのですが、栄養不足のせいで、外見的にはほぼ同い年に見えたんです。だから撮影中はゼインのことも自分の息子のように感じて、すごく心がザワザワしました。劇中の赤ちゃんを演じたトレジャーも、撮影当時、私が出産したばかりの娘と同じ年齢だったので、まるで娘のように思っていました。不思議なくらい、映画の世界と実生活を鏡で映したような感じでしたね」
大人たちに見放され、どんなに辛い人生を送っていても、一生懸命に生きようとする幼い子どもたちの純粋な欲求。鋭くも不安に揺れ、心の底では愛を渇望する彼らのまなざしが印象的だ。「子どもたちは生まれてくることを自ら選べなかったわけだから、最低限の権利、せめて愛される権利を親に要求できるべきだと思う」というラバキーのせつなる願いと未来への希望が込められたラストに、胸がぐっと熱くなる。
取材・文/石塚圭子
作品情報へ