小中兄弟を直撃!「平成ウルトラマン」誕生秘話から最新作『VAMP』まで、共作の歴史を振り返る
「完成した『ウルトラマンティガ』を観て、いろいろやっていいんだ!と思った」(千昭)
――お2人が一緒に作品作りをするようになったきっかけは?
和哉「男兄弟なのになぜか誕生日プレゼントにクマのぬいぐるみをもらって、ごっこ遊びの延長で“くまちゃん”ごっこが始まったんです」
千昭「そこから話すの!?(笑)。僕が小学校6年生の時に兄弟で映画を作り始めて、その時には8ミリフィルムで、ミニチュアに飛行機を落として燃やしたりしていたんです。でも、僕が兄なので僕が監督をするわけですよ。そうすると彼が不満を貯めていくわけです(笑)。中学から違う学校に行ってたので、彼はそっちで友達と映画を作り始めて、ちょっとずつズレてって、学生時代はあんまり口をきかなかった」
和哉「最初はやっぱりお互いに監督志向だったんです。でも兄貴は完璧主義者だから、妥協しなきゃいけない監督ではなく脚本家に転身したと」
千昭「迷ったんですよ。道を迷っているときに『小中くん脚本書きなさいよ』と言われて書いたのが『邪願霊』で、そこで踏み間違えたというか…」
和哉「でも脚本家になったから、こうして一緒に仕事ができるようになったとも思うね」
――巡り巡っていまに至るわけですが、お2人とも「平成ウルトラマン」シリーズに何本も携わってきているのに、作品単位では一度も組んだことがない。とても意外に思えます。
和哉「それはもう円谷プロのプロデューサー陣の采配ですね」
千昭「采配してるのかな(笑)」
和哉「それか運かな。僕も『ティガ』に呼ばれて、撮るつもりでいたら『ダイナ』をやれって言われたり、いくらでも組む機会はあったけれど、その都度ちょっと噛み合わなかった」
――どのような経緯で「平成ウルトラマン」シリーズに関わることに?
千昭「80年代の後半ごろかな、円谷プロがそろそろテレビをやらなきゃということで、僕ら兄弟や後に『ウルトラマンG』を書く會川昇さんや宮沢秀則さんなんかが呼ばれたんです」
和哉「新しいウルトラマンシリーズの企画書を提出するという命題で集められた若手ライターたちという感じです。それが最初の円谷との接点でした」
千昭「そこで兄弟でたたき台を作ったんだけど、それは成立しなかった。その代わりに『ウルトラマンG』がオーストラリアとの合作で作られて、僕たちの夢は潰えたんだなって。でも後々、作った企画の一部は『ガイア』の一部になったり、また一部が『ダイナ』の1話になったりはしたんだけどね」
――その後、1993年に和哉さんは『電光超人グリッドマン』で円谷作品に携わることに。
和哉「低予算だけど特撮をやらなきゃいけないという苦肉の策で、電脳ワールドの設定にしたわけですけど、そこで培われたことが後々『平成ウルトラマン』になってくるんです」
千昭「それを僕ははたから見ていて、『ああ、もうウルトラマンは作れないんだな』ってペシミスティックになっていました。そんな時、満田かずほさんに呼ばれたのが『ティガ』だったんですよ。『グリッドマン』で限界を見ていたので、最初は自分の回さえ面白ければと思ってたぐらいだったのですが、企画が5月から始まって放送は9月と、とにかく時間がなかったのもあってか、驚くぐらい加減を知らない現場だった」
和哉「あの頃は贅沢をしてでもクオリティを上げることが命題だったからね。僕らとしてはいいものが撮れてすばらしい現場だったけど、毎回すごい赤字だったらしいし…」
千昭「これは有名な話ですけど、最初のプロットコンペで僕が書いたのが『セカンド・コンタクト』と『怪獣を待つ少女』と『怪獣が出てきた日』の3本。それで満田さんが3話に『怪獣が出てきた日』を選んだら、MBSの丸谷さんが『おもしろいけど3話はどうなのよ』と言ったので、わかりました、“バルタン星人もの”をやりますって書いたのが、キリエル人が出る『悪魔の預言』だったわけで。結局最初に出した3本がそのまま前半のクールで通っちゃって、完成した自分の作品を観たらどんどん気持ちが上がってきて、いろいろやっていいんだ!と思った時に『GUTSよ宙へ』ができました。僕に火がついたのはその辺りですね(笑)」
――もし今後、お2人で一緒に「ウルトラマン」を作るとしたら?
和哉「うーん、難しい質問だね(笑)」
千昭「『ウルトラマン』よりも、兄弟で怪獣映画を作りたいんだよね。ヒーローはもういっぱいいるし『ウルトラマン』は若手が作ったほうがいい」
和哉「たしかに、いろいろな手をやり尽くしたから、もう僕らがやることはないかな」
千昭「それに『ウルトラマン』をやるとしたらものすごい喧嘩になって絶縁するかもしれないしね(笑)。でも実は『ウルトラマンティガ・ウルトラマンダイナ&ウルトラマンガイア 超時空の大決戦』の時は裏で色々と…」
和哉「兄貴がテレビ版をやっていて、映画は僕に振られて。本来はテレビ版とすり合わせるつもりじゃなかったのかもしれないけど、兄貴にこれからの展開を聞いたり相談しましたね。メタフィクションという設定も兄貴のアイデアです」
千昭「逆に僕は、映画ででてきたものをシリーズの終盤の展開で回収したりもしたしね」
和哉「実際に組んで作る以外にそういう連携ができたのも、兄弟だからこそと思います」
取材・文/久保田 和馬