『ワンハリ』をより楽しむために知っておきたい!1969年のハリウッドは一体どんな時代だった?
落ち目の俳優と彼専属のスタントマンの友情を軸に、1969年のハリウッドの光と影を描いたクエンティン・タランティーノの9作目となる監督作『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』が、現在公開されている。
タランティーノと言えば、これまでも第二次世界大戦期の『イングロリアス・バスターズ』(09)や南北戦争直前の南部アメリカが舞台の『ジャンゴ 繋がれざる者』(12)など、歴史の暗部に映画の中で光を当ててきた男。実際の時代背景を知っていると作品をより楽しめるため、ここでも『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(『ワンハリ』)の舞台、1969年のアメリカやハリウッドがどんな時代だったのか、紹介していきたい。
カウンターカルチャーが隆盛し、保守的な価値が揺らいだ60年代
大戦後の経済成長によるアメリカン・ドリームが起こり、“古き良きアメリカ”と言われた1950年代。それに対し60年代はベトナム戦争による疲弊、公民権運動など、世の中全体が揺れ動いていた時代だ。全米各地では反戦デモが行われ、政府や保守的な価値といった権力に対するカウンターカルチャーが勢いを増し、60年代後半から若者たちの間でヒッピー文化が形成されていく。69年には、ヒッピーを象徴する「ウッドストック・フェスティバル」も開催されるなど、大きな盛り上がりを見せた。
『ワンハリ』でも、権力を象徴するものの一つである“車”を持たずにヒッチハイクで目的地を目指そうとするヒッピーの女性たちや、ドラッグを売ってあぶく銭を稼いだり、パトカーを見かけて「このクソ豚野郎!」と罵倒したりする彼らの姿がしばしば描かれている。
テレビドラマ、アメリカン・ニューシネマ、マカロニ・ウエスタンの台頭
そんな既存の価値観を揺るがす波はエンタメ業界にも押し寄せていく。劇中でレオナルド・ディカプリオ演じる落ち目の俳優リック・ダルトンは、かつて「賞金稼ぎの掟」というテレビシリーズの主役で人気を博していたものの、いまはドラマの単発で悪役しか回ってこない状況。やっと映画のオファーが来たかと思えば、それはイタリア製の西部劇、マカロニ・ウエスタンという次第だ。クリント・イーストウッドやバート・レイノルズといった後のスターたちを輩出したマカロニ・ウエスタンだが、当時はアメリカの無名俳優たちが出稼ぎのために出演するというイメージがあったため、リックは「ここまで落ちたのか…」と落胆してしまう。
リックのようなかつての人気俳優が落ちぶれた理由の一つとして考えられるのが、60年代後半に登場した“アメリカン・ニューシネマ”の存在。壮大な英雄譚や夢のようなミュージカル映画がヒットした50年代から一転、カウンターカルチャーの広がりにより、『俺たちに明日はない』(67)や『明日に向って撃て!』『イージー・ライダー』(ともに69)といった反体制的な若者の鬱屈した感情を代弁する作品が人気となり、大仰なセットを組まない低予算の映画作りが主流となった。また、ハリウッドの映画作りが大きな転換期を迎えるのと同時に、一般家庭にテレビが普及し始めたことを受け、大手スタジオは次々とTVドラマの制作に着手。「スパイ大作戦」や「刑事コロンボ」など、誰もが知るヒット作が続々と誕生した時代でもある。
ハリウッドに暗い影をもたらしたシャロン・テート殺害事件
そんな時代の過渡期である1969年8月9日にある事件が起きてしまう。『ローズマリーの赤ちゃん』(68)で時の人となった気鋭の映画監督、ロマン・ポランスキーの妻で人気女優のシャロン・テートが、ハリウッドの自宅で8か月のお腹の子と3人の友人と共に、チャールズ・マンソン率いる“マンソン・ファミリー”というカルト集団のメンバーによって殺害されたのだ。
2017年に獄中死したマンソンは、この当時ヒッピー文化に便乗し、薬とセックスで若い女性たちを洗脳。劇中にも登場する西部劇の撮影所だったスパーン牧場にコミューンを形成し、複数の信者たちと集団生活を送っていた。また、マンソンを信奉する3人が犯したこの凄惨な事件は、ポランスキー夫妻宅の前の住人で、マンソンが恨みを持つ音楽プロデューサーを狙った勘違いだったことが後に発覚したことからも、その悲惨さが伝わってくる。
ハリウッドに暗い影を落としたこの事件が、果たして劇中ではどのような形で絡んでくるのか?その顛末には、目が釘付けになること間違いなしだ。
文/トライワークス