「脚本通りに撮るだけでは、生きた『ジョーカー』はできなかった」ホアキン・フェニックス ロングインタビュー【前編】
「僕らの期待を完全に超えるものだった」。先日行われた世界三大映画祭のひとつ、第78回ヴェネチア国際映画祭でアメコミ映画として史上初めて最高賞に当たる金獅子賞を受賞した『ジョーカー』(公開中)。本作で巨大な悪のカリスマへと変貌していく孤独な男、アーサーを演じたホアキン・フェニックスはその受賞結果に驚きを隠しきれない様子で語る。「トッド(・フィリップス監督)と僕はいつもジョークで言っていたんだ。自分たちのキャリアを終えるような映画は作りたくないとね。でも僕らは本当に、この映画がこのような形で受け取られるという期待はしていなかった。だから、こうして高い評価を得たことはこの映画にとってとても重要な意味を持っていると思う。ただただ驚きで、明らかに興奮した瞬間だったよ」。
これまで幾度となく映像化されてきたDCコミックスを代表する人気作「バットマン」に登場する悪役“ジョーカー”の誕生の謎に迫った本作。孤独だが心優しい男、アーサーは母からの「どんな時も笑顔で人々を楽しませなさい」という言葉を胸に、ピエロメイクの大道芸人をして暮らしていた。しかし都会の片隅で必死に生きる彼の暮らしはうまくいかず、やり場のない気持ちに押しつぶされそうに。そしてある出来事をきっかけに、アーサーは“悪のカリスマ”であるジョーカーへと変貌を遂げていくことになる。
「共感することができたと同時に、嫌悪感も覚えた」
――社会問題を多く扱った本作のストーリーについて。脚本を最初に読んだ時、どのようなことを感じましたか?
「あまりにも多くの感情が入り混じっていて、正直なところ僕にはわからなかったんだ。アーサーや彼の経験にとても同情する瞬間は確かにあった。そして僕は、それとは反対に完全に違う反応もしたんだ。その良い例は、地下鉄でのシークエンスにある。アーサーはそこに座って女性が3人の酔っ払いの男たちに嫌がらせを受けているのを目撃する。けれども彼はそこに介入しようとはしない。その男たちに魅了されてずっと眺め続けている。それは心理的にアーサーという人物を掘り下げる上でとても興味深いことだと思うんだ。
なぜなら彼は、その男たちを子どものような純粋な眼差しで眺めているからだ。彼は男がどうやって女性と話せばいいのか理解してなかったから、女性に声を掛けるためにはああやってやるんだと考えてしまう。その子どものような心理に、僕はとても心を痛めたし、悲しくもあった。でもそれと同時に、彼が本能的に誰かほかの人のために介入することを知らず、そういった能力もなかったことにとてもがっかりしたんだ。彼はいじめを受けて、その苦しみを理解していたはずなのにね。
そして彼は攻撃される。子どものような精神状態を持つ人が攻撃されることに、僕は同情したよ。それに対して彼が自己防衛で反応するということは理解ができた。一人の捕食者となって、彼は相手を追いかける。だからもし自分が攻撃されていると感じたら、きっと僕も同じことをしていたかもしれないと想像した。自分自身を守るような反応をね。でもその後の彼の様々な反応や行動には、共感することができたと同時に嫌悪感も覚えたんだ。たった2分半のシーンだったけど、僕に多くの感情をもたらしてくれた。アーサーの心理と、毎日彼がどういうことを経験しているかということをとてもよく描写していると驚かされたよ」
――劇中で特に印象的なシーンとして、アーサーのダンスシーンが挙げられます。少し奇妙で、どこか物哀しくもある。どのようにあのシーンに取り組んだのか教えてください。
「まず言えることは、それぞれのシーンは感情的な真実に立脚していないといけない。アーサー自身が感じていることに対する僕の反応ということだ。でも僕とトッドはこれらのシーンすべてを予期してはいなかった。僕らがダンスを準備したのはたった2つのシーンだけで、ほかのダンスシーンは可能性や言わんとしていることはなにかと探った後で出てきたものなんだ。僕が特に際立ったこととして話しておきたいのは地下鉄の後のトイレのシーンだよ。
もともとあのシーンは単なる情報のためのもので、銃を隠すというだけのシーンだった。でもその時点で彼に心理的に起きていることを掘り下げる絶好の機会のようにも思えたんだ。とても長い間彼が抑えてきた、ずっと戦い続けてきた彼のなかにあるジョーカーの部分がついに解き放たれた瞬間なんだ。彼はひとりでトイレにいる。だから言葉のないコミュニケーションで、こういう変化が起きていることを描かないといけなかった。でも僕は、それがなにかハッキリとはわからなかった。
だからトッドに向かって『奇妙に思えることはわかっているよ、でもそれはダンスのように感じられるんだ。ハッピーなダンスじゃない。怒りに満ちあふれたダンスでもなく取り憑かれるみたいじゃないといけないんだ。それがなにかはわからないし、どの歌をかけるべきかもわからない』と言うと、彼は音楽の一部をかけてくれた。それは嘆きのチェロ曲のようだった。僕は『おお、それだ!』と言った。するとトッドは『オッケー。僕はあなたの足から撮り始め、カメラを徐々にあげていく。手持ちで撮影するから、その空間で自由に動き回っていいよ』と言ってくれた。僕らがそのシーンについて話し合ったのはそれだけだ。
それと警官たちが地下鉄のなかで取り押さえようとする時、アーサーは彼らを嘲笑っている。地下鉄のプラットホームでのダンスのいくつかは、誰かを嘲るという意味のダンスなんだ。そして最後の階段でのダンスは、完全に形になったジョーカーの高揚感を表している。彼は自分がクールで優雅だと感じているんだ。でも観客は2つの違う視点からそれを観ることになる。1秒間24フレームの画面のなかで観ると、それはリアリティだ。彼はぎこちなく居心地が悪く、ダンスの動きはそれほどクールじゃない。そして今度は1秒間48フレームにスイッチすると、彼はスローモーションになり、優雅でクールに見えるようになるんだ。それに彼はタバコを吸って、すっかりうぬぼれている。僕はトッドがあのシーンで、ふたつの異なる視点を見せることができたことはとても興味深いことだと思ったんだ。ジョーカーが何者かというリアリティと、彼が自分のことをどう思っているかという2つのことが、カメラのテクニックによってひしめき合っているんだ」