「演じることと嘘をつくこととは違う」ジュリエット・ビノシュ、宮崎あおい、是枝裕和監督が演技論を交わす
『万引き家族』(18)で、第71回カンヌ国際映画祭パルムドールに輝くなど、これまで国内外で高い評価を浴びてきた是枝裕和監督が、カトリーヌ・ドヌーヴを主演に迎え、全編フランスで撮影した『真実』(10月11日より公開)で遂に海外進出を果たした。是枝監督と、本作に出演したジュリエット・ビノシュ、日本語吹替版声優を務めた宮崎あおいに、是枝監督初となった国際共同製作映画の舞台裏と興味深い演技論について語ってもらった。
本作はドヌーヴ演じる奔放でわがままな大女優ファビエンヌと、ビノシュ演じる娘リュミールとの間に隠された“真実”を描くヒューマンドラマ。本年度のヴェネチア国際映画祭で本作は、日本人監督初のコンペティション部門オープニング作品として上映された。日本語吹替版声優は、ファビエンヌ役を宮本信子が、リュミール役を宮崎あおい、リュミールの娘、シャルロット役を『万引き家族』の佐々木みゆが務めた。
「『女優さんてなんだろう?』という問いからスタートしました」(是枝監督)
――ビノシュさんと宮崎さんは、本日、初対面となったそうですね。
是枝裕和監督(以下:是枝)「そうなんです。宮崎さん、すごく緊張しているみたいです。僕はこんな宮崎さんを初めて見ました」
宮崎あおい(以下:宮崎)「もう棒のようになっています(笑)」
ジュリエット・ビノシュ(以下:ビノシュ)「こんなにお若い方が私のような年齢の役の声を当てられるのかとびっくりしました。でも、きっと実力のある女優さんなんでしょうね」
――まさに日本とフランスを代表される女優さん同士ではないかと。
是枝監督「そうです。お二方とも、すばらしい女優さんです」
宮崎「私は、映画のなかで、ビノシュさんの笑顔がすごく好きでしたが、いま、目の前で口を開けて笑ってらっしゃる時の声とお顔が映画と同じで。思わず『本物だ!』と感動してしまいました」
是枝監督「そうなんです。ビノシュさんは笑顔がすごくすてきですが、前半ではその笑顔を封印させてしまい、申し訳なかったです(苦笑)」
――宮崎さんは『おおかみこどもの雨と雪』(12)や、『バケモノの子』(15)など、何作品も声優の仕事はされています。是枝監督とは松本隆さんのアルバム「風街であひませう」に収録された朗読集でご一緒されたんですね。
是枝監督「宮崎さんの繊細な表現力は唯一無二だと思っていましたので、ビノシュさんとの年齢差は気になりませんでした」
――是枝監督は、アフレコの前に宮崎さんや宮本信子さんと打ち合わせをされたそうですが、どんなことをリクエストされましたか?
是枝監督「たいしたことは言ってないです。お2人には全幅の信頼をおいているので『お任せします』という挨拶をしただけです。あとは『あまり(字幕版の声を)なぞりすぎなくていいです。自分の感情を消し去らなくていいです』とだけは伝えました」
宮崎「吹替えの仕事は初めてだったので、どうしたらいいのかわからなくて。とにかく本作のDVDをいただいてからは、ビノシュさんの演技を、時間の許すかぎりひたすら観ました。どうしても台本を見る時間が長くなってしまいますが、台詞を言う時も、ビノシュさんがしゃべっている時の顔がちゃんと自分のなかで出てくるくらいにはなっていたいと思ったので。だからいま、緊張してビノシュさんの顔が見られないです」
「ビノシュさんは映画1本のなかで、女性のいろんな役割を見せてくれました」(宮崎)
――カトリーヌ・ドヌーヴさん演じる主人公の大女優、ファビエンヌは、是枝監督が当て書きで脚本を書いただけあって、とてもリアルでした。これまで数多くの女優を演出されてきた是枝監督ですが、今回改めて“女優”という職業を深く掘り下げた感想を聞かせてください。
ビノシュ「それはいい質問ね」
是枝監督「僕はそんなにたくさんは演出してないですよ(苦笑)。今回は、そもそも『女優さんてなんだろう?』という問いからスタートしています。でも、答えがつかめるような対象じゃない。本当に1人ずつ役作りの仕方が違うので、それをおもしろがりながら脚本を書いていきました」
――ヴェネチアの会見で、ドヌーヴさんがファビエンヌ役について「自分とかけ離れているから楽しかった」というコメントをされていました。でも、映画を観ると、ドヌーヴさんはきっとこういう方なのではないか?と思える風格を感じます。実際の素顔はどんな方ですか?
是枝監督「ご本人がそう言われているのに、僕が『いや、そのままですよ』とはなかなか言いにくいです(苦笑)」
ビノシュ「アハハ。それはそうね」
是枝監督「でも、自分と役を切り離し、おもしろがって演じてくださったのは間違いないです。あのファビエンヌの軽やかさは、ドヌーヴさんご自身がもっているもので、今回はそれを注ぎ込んでくださったので、エンタテインメント作品にできたのかなと。あれをすごくリアルに演じられたら重いですから」
――ドヌーヴさん自身も楽しんで演じられていたのでしょうか?
是枝監督「作品が目指している世界観は、本読みやリハを通してつかまれていたので、そこは的確に演じてくれました。現場でのドヌーヴさんは『こんなことを言うと嫌われるのよ。ハハハ』と言いながら、すごく毒を吐いてくれましたので笑えるシーンをたくさん撮ることができました(笑)」
――ビノシュさんは、ドヌーヴさんと共演してみていかがでしたか?
ビノシュ「彼女とこの映画で共演できたのは、本当に楽しくてうれしい経験でした。印象深かったのは、みんなで夕食をとるシーンです。最初のテイクを撮った時、私がかなり強めの口調でファビエンヌを攻めたので、カトリーヌは驚いていたと思います」
――リュミールが、言いたい放題だったファビエンヌにカチンと来て、言い返すシーンですね。
ビノシュ「私としては、あの場でファビエンヌが恥をかくような雰囲気を作りたかったんです」
是枝監督「あのシーンは、ずっとファビエンヌに対して受け身だったリュミールが、初めて攻撃に転じるところです。僕からはそんなに指示は出していなくて、リュミールがワインを飲み干してから、戦闘開始という気持ちでいました。そこから母と娘の攻防が逆転していくんですが、とてもいいシーンになりました」
――宮崎さんはビノシュさんの演技を見て、どんなことを受け取りましたか?
宮崎「リュミールは娘でもあり、母でもあります。お母さんと自分の子どもを見ている表情はもちろん違いますし、お母さんといるとぶつかるんだけれど、やっぱりリスペクトしている眼差しもあったりします。映画1本のなかで、女性のいろんな役割を見させていただきました」
「演技の仕事は、信仰に基づく仕事だと思うんです」(ビノシュ)
――是枝監督は、ビノシュさんのアプローチを間近で見ていてどんな刺激を受けましたか?
是枝監督「ビノシュさんから『演じることと嘘をつくこととは違う』と言われたことです。だとすると、演じるというのは、どういう行為なんだろうか?と、彼女に投げられた球を自分なりに反芻していきました」
――それは、現場に入ると、役柄を“演じる”のではなく、“生きる”という感覚に近いものでしょうか?
是枝監督「僕が受け取ったのは『素人は、そこに命をもったものとして映るけど、私たちの仕事は、そこに存在しない新しい命を吹き込む仕事である』というニュアンスでした。それは彼女の芝居を見ていると、すごくよくわかります。僕は今回の作品を通して『女優とは○○である』ということがわかったのではなく、女優についての考え方や感じ方が広がっていった気がします」
ビノシュ「正確に言うと、命をクリエイトするというよりは“リクリエイト”する、すなわち、そこにいる人たちと共に、命を再びクリエイトするという作業です。俳優の仕事は、自分のビジョンや感情を、監督と一緒に作っていくという共同作業ですから。自分が考えたものだけではなく、その場で起こる感性同士の刺激合いを通じて、自分の感情を発露していきたいんです。そのような演技は、“信仰”に基づく仕事だと思っていますし、その根幹は“沈黙”と“記憶”にあります」
是枝監督「演技について“信仰”という言葉を使われた点がすごくおもしろいです。そこをもう少し詳しく聞かせてください」
ビノシュ「俳優業は、“信じる”ことから始まる職業だから、そこは信仰のようなものだと思っています。監督が『アクション!』と声をかけて撮影がスタートしてから『カット!』と言うまでに存在する空間と時間を、どこまで信じることができるかが勝負のカギになってきます」
是枝監督「なるほど。空間と時間を信じるということですね」
――“沈黙”と“記憶”についても、もう少し詳しく聞かせてください。
ビノシュ「沈黙とは、テイクの前の時間のことで、私は、1テイクを撮る前に、“自分がその場所に存在している”と内面で感じる時間を必要とします。また、監督にとっても沈黙の時間は重要で、“そこでいま作られる生命”を感知するために心の準備をする時間になると考えています。それを撮り、人を感動させられるかどうかは、監督の手腕にかかっています。是枝さんは、子役にはすぐに心を動かされるという印象を持っているので、私たちみたいな大人の俳優も、子どもたちのようにフレッシュな感性を持っていなければいけないと思っています」
――“記憶”は、これまで積んできた人生経験や演じてきた役柄を示すのでしょうか?
ビノシュ「そうです。私たちは常に“記憶”を使って演じているから。でも、それは、自分自身の人生における記憶だけではなく、ありとあらゆる人間の記憶も使っています。“ノスタルジー”という言い方ができるかもしれないし、古代から続いてきた人類の歴史をひっくるめての話になります。
リュミールが母ファビエンヌに裏切られたことに、なぜあそこまで傷ついたのか?それは、ファビエンヌが、リュミールの母という“源”であるからです。父や母に裏切られるのは、自分の存在自体を否定されることに等しいので、第三者の裏切りよりもかなり深刻です。実際、父や母の心なき言葉が、子どもの心にどれだけ傷をつけてしまうか、という話です」
――宮崎さんは、女優業という仕事をどう受け止めていますか?
宮崎「私も、役を演じる時、自分の経験を踏まえて臨みますので、自分がいままでの人生のなかで味わったいろいろな想いを役で表現することもあります。ただ、私がこの世界に入ったのは4歳のころで、エキストラから始まっていて、物心がついた時から、お芝居をしている生活をしているので、日常と仕事との区別はついていないかもしれません」
――それは、日常と仕事が一体化しているという感覚なのでしょうか?
宮崎「そうですね。お芝居をすることも、私にとっては生活の一部となっています。それは、日常でごはんを食べたり、学校へ行ったりする時間と同じような感じで、それと並列で、お芝居をする時間があるということです。私は、お芝居をしていない人生を知らないんです」
――俳優さんは、よく「スイッチのオンオフをする」といった言い方をされますが、そういう切り替えをするという意味ではなく、もはや女優業が日常になっているんですね。
宮崎「きっとそうなんだと思います」
――女優さんは十人十色で、非常に興味深いですが、それはまさに『真実』で描かれていることですね。みなさん、ありがとうございました。
フランス映画界きっての名優、カトリーヌ・ドヌーヴとジュリエット・ビノシュという顔合わせはもちろん、日本語吹替版を務めた宮本信子や宮崎あおいたちも含めて、すばらしいコラボレーションを魅せてくれた是枝監督。
発端は、是枝監督とビノシュとが2005年に出会い「いつか一緒に映画を作りましょう」という約束を交わしたことから始まったもので、いまや国境を超えたチームによって、その想いが『真実』として結実した。そんな本作は“世界の是枝”としてスタートを切るにふさわしい1作である。
※宮崎あおいの「崎」は「たつさき」が正式表記
取材・文/山崎 伸子