大林宣彦が映画に託した“自由”と“未来”、戦争を知らない子どもたちへの5000字
「自由の尊さを表現するには、映画が求められる時代になった」
「そのクロさん(黒澤明監督)は、映画監督になった時にも個人で食べていけるからという理由で映画監督になったわけで、食えるから自分が好きな絵を好きなだけ描くという、ギャラをもらって自分は絵を描ければいいのだという立場の人でした。けれども組織の人間になると、勤め人ですから好きな絵ばかりを描いているわけにいかない。会社が損をせず、うまくいけば儲かるためにと会社に忖度をしながら映画を作らなければいけない。だからいまでこそ名作と言われる『用心棒』や『椿三十郎』も、封切り時に観た僕たちは『なんだ、黒澤までが金儲けのために映画作りやがって。こんなもの観たくもないや』とそっぽを向いたものです。
それでも紛れもない名作にしてしまうのはクロさんの才能ですね。それからちょっとして、自由ざんまいに映画を撮ってみたらどうなるかやってみようと、28日で撮ったのが『どですかでん』。後々僕が親しくなった時に『大林くん、君ならわかってくれるだろう』とクロさんが話してくれたんです。『俺はあの時東宝をクビになって、あとは自分の映画の予算を黒澤プロが手配することになった。金がなきゃ映画は作れないねえ』と仰っていて、その直後に撮ったのが『夢』。『君と同じアマチュアになったんだよ。アマチュアってのはいいねえ。自分に一所懸命、嘘をつかず正直に、自分の信じることだけを映画にすれば、自分の絵みたいな映画ができるねえ』とも仰っていました。絵みたいな、ということは個人作業ですね。つまり自由の尊さを表現するには、いまは映画が求められる時代になったんだと感じました。
その後のクロさんの映画を観ると、『夢』もしかり、長崎の原爆を扱った『八月の狂詩曲』に、日本人が失われたと世の中みんな信じていた先生に対する弟子たちのお付き合いの礼儀正しさを描いた『まあだだよ』と、どれも全部ポケットマネーの映画なんですよね。それまでは何年もかけて、時には5億くらいで作っていた映画も、最後の映画はせいぜい1億といったところでしょう。僕自身も『時をかける少女』と今度の映画とでは、少なくとも映画作りに使える予算は5分の1ぐらいですからね」。
「映画が劇映画とドキュメンタリーだけだというのはもったいない」
「軍国少年だった僕が、なぜ生き延びたかってことを僕自身のために考えても、いまできることは過去の歴史を映画を通して子どもたちに自由に語りたいということ。それができるのが映画。あるいは芸術であると思っている。小津安二郎監督も、戦意高揚映画を撮るために派遣されたフィリピンでワンカットも撮らなかった。あの2011年3月11日の日に山田洋次さんが電話をくれまして、準備もできていた『東京家族』を1年間延ばしますと仰ったのです。『昨日改めて「東京物語」を観たら、すべてのカットに戦争が映っている。だから僕の作る「東京家族」にもすべてのカットに放射線が映っていなければ映画を作る意味がないですよね。それを無視すれば歴史に対する犯罪になってしまうから1年間延ばします』と。
山田さんと僕と高畑勲さんと、かつてなら松竹とアマチュアとアニメーションの監督が仲良し3人組になるなんてことは決してありえなかったでしょう。これがあり得たのは、時代的な切迫感を皆さんがお持ちになったからでしょうね。僕の作る映画は、もし皆さんがキャメラを持っていれば作れるし、メモだって映像になれば小説やエッセイだって書ける。むしろ映画が劇映画とドキュメンタリーだけだというのはもったいないと思っているので、僕は自分自身で“シネマゲルニカ”と名付けました。
ピカソの『ゲルニカ』はいまでこそ名作と言われていますが、発表された時にはピカソともあろう写実派の名人が、幼稚園の子どもが書いたような絵を描いたとみんなが馬鹿にしたわけです。でもいまになって見てみると、あの西ドイツがスペインの小さな村で起こした戦争のために、殺されてしまった人たちのドラマがあり、小さな子どもがその絵を見て『このおばあちゃんはどうして怖そうな顔してるの?え、戦争でご主人が殺されちゃったの。そんな馬鹿な。戦争なんてあるはずがないよ』と、誰も覚えちゃいない歴史と未来を結ぶ役割を果たしてくれている。
そういう歴史があるなかでね、原発や沖縄の軍事基地といった問題にお国の都合があるというのはとても怖いことです。アメリカがいま日本に払ってるお金の何百分の一かの予算削減で沖縄は守れるはずなんです。考えてみれば、これから沖縄にアメリカの基地を置いといたってなんの意味もありはしない。だからトランプさんに僕は聞いてみたいと思っています。『さあ、あなたはどうする?』と」。
大林監督が手掛けた最新作『海辺の映画館 -キネマの玉手箱』は3人の若者が海辺にある映画館の閉館オールナイト上映を訪れ、スクリーンに投影される戦争映画の世界へとさまよいこむ姿を描いた約3時間の壮大なファンタジーで、2020年の劇場公開を予定している。
また同映画祭では前作『花筐/HANAGATAMI』をはじめ、“尾道三部作”のひとつ『さびしんぼう』、太平洋戦争下の尾道を舞台にした『野ゆき山ゆき海べゆき』(86)と山田太一の小説を映画化した『異人たちとの夏』(88)が上映される特集「映像の魔術師 大林宣彦」が組まれているほか、「特別招待作品」には大林監督とプロデューサーである恭子夫人の軌跡を辿ったドキュメンタリー作品「ノンフィクションW 大林宣彦&恭子の成城物語[完全版]〜夫婦で歩んだ60年の映画作り〜」も上映された。特集の各上映の際には大林監督らを招いたQ&Aが開催される予定となっている。
この貴重な機会に映画館の大スクリーンで“映像の魔術師”の生みだす幻想的で詩的な映像世界を堪能し、それと同時に大林監督の口から直接語られる強いメッセージを心に刻んでほしい。
取材・文/久保田 和馬