【ネタバレあり注意!】『ドクター・スリープ』“映画世界遺産めぐり”のざわつき
映画館映画の金字塔『ニュー・シネマ・パラダイス』(89)は、映画に夢中な少年が、映写技師と仲良くなり、映写室に忍び込んでいるうちに手伝うようになる話。
大学生の頃までその映画館で働いていたが、やがて老映写技師からここに居続けるな、街の外に出ろとアドバイスされ、住み慣れた故郷を出る。
やがて終幕近く、その映写技師の葬式のために30年振りに帰郷し、かつて働いていた映画館がすっかり朽ちているのを目の当たりにする。
この時の、心のざわつき。
『ドクター・スリープ』(公開中)は、ホラー映画の頂点と讃えられることも少なくない『シャイニング』(80)の続編という、始まる前から戦うのが難しい作品。
なにしろ『シャイニング』は『2001年宇宙の旅』(68)や『時計仕掛けのオレンジ』(71)で知られる巨匠中の巨匠スタンリー・キューブリック監督の傑作ゆえに、どんなものを撮っても文句が出るのは避けられない。
完璧主義者で知られる監督が、ホラー映画というジャンルの中では通常考えられないような大予算で贅を尽くした、ゴージャスでソフィスティケイトされた芸術的ビジュアルは、40年という年月が過ぎようとも映画ファンの魂を今もなお捉え続けている。
しかしそんな『シャイニング』にも、大きな弱点がひとつある。
それは、原作者スティーヴン・キングが嫌っているという事実。恐怖を書きながらも、愛や感情を描くキングの作風と、冷酷な観察と分析で人間をえぐるキューブリックの作風は相容れず、キングは今もなおこの映画化作品を否定し続けている。これがつきまとい続けているのだ。
このような状況を踏まえて切り抜けるため、本作の監督マイク・フラナガンがとった戦略は、映画のヴィジュアル遺産を利用しつつ、原作本来のテイストに引き戻すこと。
映画ファンが期待するキューブリックの意匠をちりばめながら、登場人物の心情に寄り添い、掘り下げることでキングの意図を汲むというツイスト戦略だ。
ともすれば、両サイドから大反発を喰らう諸刃の剣ではあるが、キューブリックの映像的意匠が一切採用されないとなれば、製作費は捻出できないであろうし、キングの原作の狙いを織り込まなければ、映画化を認めてはもらえないだろう。
つまり、これはむしろ必然の結論とも言える。
結果、非常に奇妙なテイストの作品が出来上がった。
『ドクター・スリープ』はややその雰囲気は残るも「ホラー映画」というよりは「ヴァンパイアvs超能力者バトル映画」というほうが正確な作品になったのだ。
今作でまず驚かされるのは、突然登場してくる、超能力を持つ子どもの「生気」を喰らうヴァンパイア風妖怪人間の登場だ。もちろん『シャイニング』にはそんなキャラは一切出てこなかった。
キューブリックが改変したため、映画版は少年ダニーが持つ超能力の要素はほとんど本筋に必要ないレベルだったが、続編ではそもそもタイトルにもなっていた「シャイニング=超能力」という要素をこそ最重要要素に据え、そのためこの超能力を持つ者をつけ狙う、妖怪人間を必要とした。
「あれ?ホテルに出てきた幽霊たちが狙ってくればいいんじゃないの?」という素朴な疑問が浮かぶと思うが、ここがややこしいのだが、あいつらが襲ってきたのではダメなのだ。
なぜならば、あのホテルに出てくる幽霊は『シャイニング』の冒頭で語られるように、元々ネイティブ・アメリカンの墓地を埋め立てたという呪われたホテルの、いわば地縛霊であり、その地縛霊があのホテルで輪廻転生を繰り返している、という設定だからだ。それが幽霊屋敷というものである。
かつて酒乱オヤジが発狂して母親ともどもオノでぶち殺されそうになる、というとんでもないトラウマを背負ったダニー君が、それゆえに自分も大人になってアルコール依存症になってしまったが、過去のトラウマを乗り越えて「俺みたいにはなるなよ」と次世代につなぐ、というのが心情的なテーマになるため、ホテルの亡霊たち(オヤジ含む)は「過去の悲劇の象徴」として、使わなければならない。
敵になってはいけないのだ。
どういうことかと簡単に言ってしまうと、いかに悲劇的な過去であってもそれは自分の一部であると。そこからは逃れられない。しかし、新たなる人生の困難に直面したとき、その経験は役に立つこともある、ということが今作のメッセージである。
これが最後の、女幽霊(これは恐怖体験のイメージということになる。実際の幽霊はホテルの焼け跡にいるはずだ)がいるバスルームにアブラが入っていく場面の意味。恐怖を受け入れることで前に進むのだ。
というわけで新たなる困難として「シャイニングを喰らうもの」の存在が作られたわけだが、映画『シャイニング』のアート性、不可解性をこそ愛する人には、いかにも俗っぽいと感じるだろう。
しかし、このおかげで、エンタメ性は格段に増した。
難解映画とも言われる『シャイニング』の神秘性は消え去ったが、『グレイテスト・ショーマン』(17)のオペラ歌手や『ミッション・インポッシブル』最新2作のスパイとしてきらめいた超絶美人レベッカ・ファーガソンがヴァンパイアのボスを演じたために、バトル映画で絶対に必要な「魅力的な敵」を確立できたためだ。ちゃんと物理存在で誰にも理解できる。
『シャイニング』ではジャック・ニコルソンの内面を具現化したようなホテルそのものが対立者、というような難解な構造だった。
これは『エイリアン』を想い起こさせる。
宇宙船内で正体不明の宇宙生物に襲われ、クルーが逃げ惑ったゴシックでグロテスクな密室ホラーSFだった第1作から、『2』はマザーエイリアンをボスとした5000匹のエイリアン群とパワーローダーなるロボ装甲で女戦士がバトる映画に変更されたのとよく似ているではないか。
しかし、最後半から『ドクター・スリープ』は『エイリアン2』とは異なる展開を見せてくる。ここがユニークだ。
…まあ『エイリアン』も『プロメテウス』という作品で同じような事をやるけれども。
過去のトラウマを受け入れ、むしろそれを利用して新たな問題を解決する、という明解で力強いメッセージを作り手が打ち出すため、ダニーはふたたび「展望ホテル」に向かわされる。
ややテーマ的都合が見え隠れする展開ながらも、しかしあの『シャイニング』冒頭の空撮が、夜の吹雪の中で再現され、ホテルの外観が見えてくる時、やはり感慨を覚えずにはいられない。
図面から正確に再現されたというあのホテルの内部は、長年の放置で相当に朽ち果ててはいるものの、237号室や、ザ・ゴールドルームを、ふたたび目にするとき、ノスタルジーと、過去の惨劇を知るゆえの緊張感がないまぜになって沸き起こり、心がざわつくを抑えられない。オノで破壊されたドアからのぞく、ダニーの顔。
『エイリアン』がそうだったように、どちらが好きかは別れることだろう。
だが、全体を気に入る気に入らないにかかわらず、この公開から40年が過ぎた“映画世界遺産”と呼ぶにふさわしい「展望ホテル」をもう一度目の当たりにするとき、『シャイニング』を愛するのならば、特別な体験になる。
文/遠山武志【月刊シネコンウォーカー】
遠山武志
シネマシティで企画を担当。「映画館はもっとおもしろくなれる」をモットーに、ライブスタイル上映や極上音響上映、シネマウェディング等、映画館の概念を変える企画を次々と世に送りだす。エルンスト・ルビッチ、ウディ・アレン、橋本忍を心の師匠とあがめている。