『Fukushima 50』若松節朗監督が語る、容赦ない災害描写と民謡に込めた“祈り”
「佐藤浩市さんも役に入り込まれていて、現場では本当に泣いていました」
メルトダウンという未曾有の危機に瀕したイチエフ。作業員たちは、体一つで原子炉内に突入して行う作業“ベント”という命懸けのミッションを強いられた。伊崎が「誰か俺と一緒に行ってくれないか」と言うと、次から次へと手を挙げていく部下たち。結局、制御室の司令塔とならなければいけない伊崎は残ることになり、彼以外の部下や同僚が2人1組でベントに当たることになる。
「作業員役の俳優たちには、『佐藤浩市に褒められたいからやる、という想いで芝居をしてね』と言いました。いまの世のなか、『この人に褒められたい』と思いながら働いている人が少なくなっている気がしますが、今回は、そういうチームでありたかった。もちろん仕事に対するプライドも、家族や故郷への想いもあったとは思いますが、この親分のために頑張りたいと思えることも、大事だったかなと」。
また、本作を観て初めて気付かさせられたのが、作業員と原発との関係性だ。例えば、吉岡秀隆演じる5・6号機の当直長、前田拓実がベントに臨む際に、扱いにコツがいるという1号機の原子炉について「この手で“あいつら”を助けてやりたい」と、親しみを込めて原子炉を生命体のように表現する台詞がある。これについては伊崎も「原子炉は機械じゃないからな」とうなずくのだ。
「1号機から6号機まであるなかで、最初に作られた1号機だけが、アメリカのゼネラル・エレクトリック社製で特殊なんです。当時、初めて触れる原子炉だったから、作業員も扱いを覚えるのが大変だったかと。彼らは原子炉と、まるで友人のように接してきたんだと思います。現場では吉岡くんとも相当、その話をしました」。
また、決死の作業に当たる部下たちの想いを受け、伊崎が流す涙にも嘘がなかった。「現場で本当に泣いていたんです。もちろん映画の撮影はフィクションですが、ドキュメンタリーのなかの人物のように見えました」。
「“復興オリンピック”と言いながら、いまだに復興はしていません」
『Fukushima 50』(フクシマフィフティ)が世界で公開されるにあたり、挿入曲とされたアイルランド民謡の「ダニーボーイ」が、家族を待つ人々の悲痛な祈りを雄弁に物語っていくことは間違いない。様々な翻訳が存在する名曲だが、なかでも戦場に赴く我が子の無事を願う親の気持ちが歌われた歌詞がよく知られている。若松監督が民謡にこだわったのは「その土地に根ざしたものだから」という部分もありつつ、原発事故でいまだ故郷に帰れない人がいるという現状の暗喩的な意味合いもあったようだ。実際に、渡辺が演じる吉田所長が、緊急時対策室で万事休すとなったなかで、福島の民謡『相馬流れ山』を歌うシーンは、涙を禁じえない。
「僕は謙さんに、皆が死を覚悟した時、静かに民謡を歌ってほしいとお願いしました。なぜなら、伊崎は地元出身で高卒の作業員ですが、吉田所長は大阪出身で、本店から福島に来ているエリートです。その吉田さんが福島の民謡を歌うことで、ほとんどが地元出身者で占められている現場の人たちが、吉田さんを心から受け入れたという、一体感が生まれる。あそこは奇跡のようないいシーンになったと思います」。
名シーンといえば、原発事故後、いまでも帰還困難区域となっている富岡町で、桜が満開に咲き乱れているシーンにも心を揺さぶられる。カメラは、津波で流されたであろう「原発は明るい未来のエネルギー」という看板もしっかりと捉えている。
「原発は安いコストで最大のエネルギーを作れますが、実はこれほど危険なものはないです。原発事故から9年が経ちましたが、いまだに故郷に戻れない人もいます」。
現実に起こった惨事を描くうえでは『沈まぬ太陽』と本作は共通項も多いが、監督のなかでは、まったく違う作品として位置づけていた。
「『沈まぬ太陽』は、小さなアリが巨象に向かっていく話なので、迷うことなくアリを応援しようという立場で描けましたが、今回は表立って『原発反対!』とは作れませんでした。僕としては、死と隣り合わせに頑張ってくれた50人をしっかり描くことに徹したつもりです。ただ、日本は世界で唯一の被爆国だし、今回の震災で原子力を扱うのは本当に大変だと改めて感じたので、原発についてはもう一度リセットして考えてほしいと、個人的には思いました」。
折しも、オリンピックイヤーの今年3月に公開される本作。「“復興オリンピック”と言いながら、いまだに復興はできていませんが、聖火は福島からスタートします。だから、その前に本作が公開されるのは、すごく意味があると僕は思っていますので、ぜひこの映画を多くの方に観ていただきたいです」。
取材・文/山崎 伸子