田中麗奈、『源氏物語』で生霊となる愛人役を「愚かだけど美しい」
生田斗真主演の『源氏物語 千年の謎』(12月10日公開)で、源氏を思うがあまり、生霊となる年上の愛人・六条御息所役に扮した田中麗奈。この役に田中がキャスティングされたのは意外だったが、完成した映画を見てみたら、妖艶な怪演ぶりが見事だった。本作で、清純派映画女優を脱皮した感のある田中に、今の手応えを聞いてみた。
「オファーをいただいた時はちょっとしびれました。眠っている何かが自分の中にある気がして、ピンと来たんです。紫式部がなぜ源氏物語を書いたのかという話で、彼女が現実では出せなかった修羅の感情から生まれたのが御息所です。物語と現実が交差する二重構造がすごく面白いなあと。また、今までやったことがない役でプレッシャーもあったけど、とにかく絶対にやりたいと思いました」。
六条御息所が生霊になるシーンは妖艶で幻想的だ。「普段の御息所はしきたりなどを守り、とても抑制されている部分がある女性ですが、生霊になるとそこを抜け出して自由になれる。身軽に飛んでいけるので、地に足がついてないふわふわした感じが出せれば良いなと思いました。現実のパートでは、紫式部がしっかりと感情を押し殺していて、式部の悲しみや苦しみが御息所によって現れていく。ふたりの女性が重なっているような感覚で演じました」。
御息所が生霊に至るプロセスを、田中はどう解釈したのか。「マイナスの感情がどんどん膨れ上がっていき、コントロールが効かなくなり、一人歩きしてしまう。そうなってしまった理由は、憎しみと対比している愛なんです。愛するがゆえに、とても執着してしまい、逆の感情が表裏一体となってしまった。そこがすごく人間らしくて愚かだけど、そこまで情熱を懸けて愛することって美しいなとも思いました」。
特に、生田扮する光源氏の前に生霊として現れるシーンは何とも切ない。「源氏と葵の上が抱き合っているところに行き、葵の上に乗り移るんですが、その時に『なぜ、私の扉を開けたのですか。私は只心平らかに、自らの誇りと共に生きて行きたいと願っていたのに……』というセリフがあって。御息所は修羅となって、怒りや苦しみ、愛をひたすらぶつけていくんですが、生田さんは源氏としてしっかりそこにいてくださり、彼女の思いを受け止めようとしてくれて。でも、本当は受け止められていないという悲しさもあり、とても緊迫したシーンでした。生田さんとは一緒にシーンを作れたなあと感じました」。
生霊を演じている時は“無”だったという彼女。「コントロールできないほど枠を超えて感情を開放することは、前からやってみたいと思っていましたが、実際にやっている時は本当に無でした。体全てが怒り、悲しみ、苦しみとなったというか、全身感情の生き物になってしまって。終わった後は本当に疲れていて、抜け殻のようでした」。
本作で田中は、女優として1ステージ上がった気がするが、その手応えについて彼女は「まだ、わからないです」と言う。「年齢を重ねていき、今までとは違ったイメージの役をやらせていただけることはとても大きな変化につながるし、スキルアップできるチャンスだとは思いますが。30代に入って、そういう役に出会えたことにとても感謝しています」。『源氏物語 千年の謎』が公開されたら、改めて田中麗奈の女優としての真価が問われるに違いない。【取材・文/山崎伸子】