『鉄道員』降旗監督が語る、故・高倉健との思い出

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『鉄道員』降旗監督が語る、故・高倉健との思い出

現在開催中のゆうばり国際ファンタスティック映画祭2015。2月20日(金)に、高倉健追悼企画で『鉄道員 ぽっぽや』(99)が35ミリフィルムで上映され、本作の降旗康男監督と坂上順プロデューサーが登壇した。

久しぶりに上映を見たという坂上は、「完成した時に何回も見ているはずなのに、今改めて見ると80%もわかっていなかったんだなというのが本音です。改めて降旗監督にありがとうと言いたい」と語った。また、「私は50年以上映画に関わっています。プロデュースというのは、“つくる”という意味ですが、この作品から“授かる”に変わりました」と当時を振り返った。

降旗監督は本作を撮影した当時を、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭にかけて「僕はファンタスティックの要素よりも、2000年当時、グローバリゼーションが日本の社会を覆っていく時に、そこから取り残された男の寂しさやせつなさを思ってつくっていました」と語った。

北海道の真冬のなか約3か月を使って撮影されたという本作。「撮影で大変だったことは?」との問いに「厳しいところを探して撮影するのが“撮影”なんです。厳しくないところからいい画はできてこない。求めていったので、気持ちのいい厳しさでした」と降旗監督らしい答えが返ってきた。

また、降旗監督が高倉と出会ったころ、高倉は美男子だけどなかなか主役に抜擢されない俳優だったという。しかし、『日本侠客伝』(64)で、主役を演じてから変わったと降旗監督は語る。「最初は中村錦之助さんが主役だったんですけど、その役を降りたんです。そこで健さんが主役に抜擢されたわけです」

「この2人はとても仲がよくて、そうなったときに中村錦之助さんが、『じゃあ俺が相手役をする』と言い、共演しました。そこで、友情の対立、役者としての対立があって、健さんはまなじり決して撮影にのぞんだんだろうと思います。べつに技術的にうまくなったわけではないのですが、修羅場を抜けたすごさが備わってきたなと思いました」と貴重なエピソードを語った。

また、『鉄道員 ぽっぽや』で印象的に使われている音楽「テネシー・ワルツ」についての秘話も披露された。「テネシー・ワルツ」は高倉にとって特別な歌ということは知られているが、はじめは「この曲を使うなら芝居できない」と言われていたという。しかし、降旗監督は「これが僕らにとって最後の作品になるかもしれないから、個人的な感情はあるかもしれないけれど、それがあるがゆえにいいじゃないか」と高倉を説得したという。

降旗監督は、高倉主演で新作の脚本をつくっていたという。物語は阿蘇山が舞台で、テーマは、人間はどうやって年をとっていくべきかというもの。「健さんと『あと2本くらいは撮れますかね?』『1本がせいぜいですよ』という会話をしていましたが、叶わぬこととなりました」と別れを惜しんだ。

最後に、高倉に対し降旗監督は、「いい映画をつくるということしかないです。健さんは僕のアイドルなんてことも言っておりました。アイドルを亡くしてどうなってしまうかわかりませんが、僕1人でまだ1本ずつ最後の作品を撮っていけたらいいなと思います」と締めくくった。【Movie Walker】

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