二階堂ふみ、長谷川博己と演じたのは、生死ギリギリの関係
『私の男』(07)で浅野忠信と堂々渡り合い、いまや押しも押されもせぬ映画女優となった二階堂ふみにインタビュー。毎回、彼女の出演作からは、女優としての覚悟や潔さ、凄みが感じられ、役に向き合う姿勢は、“挑む”という言葉がしっくり来る。今回もしかりで、脚本家・荒井晴彦が『身も心も』(97)以来18年ぶりにメガホンをとった『この国の空』(8月8日公開)では、これまでにないアプローチをして、戦時下を生きる若きヒロインの血潮を、力強く体現した。
『ヴァイブレータ』(03)や『共喰い』(13)などの脚本を手掛けた荒井晴彦が、芥川賞作家・高井有一の谷崎潤一郎賞受賞作の小説を映画化した『この国の空』。舞台は終戦間近の日本で、二階堂が演じた19歳のヒロイン里子が、妻子を疎開させて一人暮らしをする隣人・市毛と接していくうちに、お互いを求め合うようになっていく。
二階堂の口から流れるたおやかなセリフ回しがとても美しく、銀幕を彩った往年の大女優たちを彷彿させる。「戦争という状況下で、いつ死んでしまうかわからない、生死のギリギリのところで生きている。そういう人間の言葉に、すごく重みを持たせたいと思いました」。
二階堂は、高峰秀子の大ファンだそうで、里子役では成瀬巳喜男監督作や小津安二郎監督作のヒロインたち特有の話し方を意識し、役作りをしていった。「日本語がすごくきれいに引き立つようなしゃべり方や所作は、今回かなり作り込みました。それ以外の内面は現場で、長谷川(博己)さんや工藤(夕貴)さんとご一緒しながら作っていきました」。
市毛役の長谷川と二階堂は、『地獄でなぜ悪い』(13)に続き、2度目の共演となった。「長谷川さんとは前作で一緒にヴェネチア映画祭にも行ったので、すごく仲良くなって、お兄ちゃんみたいな存在になりました。でも、今回は役柄の関係上、なるべく現場では距離を置くようにしていました。里子と市毛は近いようで、全然違う方向を見ているし、違う方向に向かっていると思ったので」。
市毛と里子の関係性について二階堂は「許されない恋とはまた違うもので、恋でもなければ愛でもないと思っていました。戦争というものが背景にあり、人間の生きる、食べる、欲するというものを素直に描いた作品ではないかと」と解釈した。
本作では、茨木のり子の詩が、印象的に挿入され、里子の心情に寄り添う。「『男たちは挙手の礼しか知らなくて きれいな眼差だけを残し皆発っていった』と、茨木先生の詩にもあるように、そこに里子と同世代の男の子はいなくて、たまたま市毛がいた。たぶんそれだけのことで。戦争さえなければ、違っていた。2人共、戦争の被害者なんだということが前提としてありました」。
長谷川との共演シーンについては「本当にいろんなところが引き出されていたと思います。自分の知らないところで。それぞれのシーンがかけがえのないものになっているので、ご一緒できて良かったと思っています」と、感謝の言葉を口にする。
「なぜ戦争が起きてしまったのか、なぜ人々がそこへ向かっていってしまったのか。もちろん戦争をしてはいけないし、戦争は悲劇しか生み出さないとも思っています。本作は、この先も戦争というものが起こらないために、自分たちがどういうことをしていけるのかを、常に考えさせられる作品になりました」。
『この国の空』で、また女優として違う“章”を見せてくれた二階堂ふみ。彼女の伸びしろは、本当に計り知れない。いまを生きる二階堂が、時代は違えど、同じ19歳の里子役を演じたことも、大いに意味があった気がする。【取材・文/山崎伸子】