『怒り』の渡辺謙「子どもに近ければ近いほど誤解してしまう」
『許されざる者』(13)に続き、李相日監督最新作の群像劇『怒り』(9月17日公開)でも、豪華キャストたちが組んだ円陣の中央にいた渡辺謙。過酷を極めると言われる李組だが、作品のクオリティはお墨付きで、人気実力を兼ね備えた素晴らしい俳優陣が集結した。「李さんの現場では、俳優がどういうふうに向き合うかが試される」と語る渡辺に、本作の現場を振り返ってもらった。
八王子の閑静な住宅地で、夫婦が惨殺される。室内には血で書かれた『怒』の文字が残されていた。その後犯人は顔を整形し、社会に紛れ込んで生きているようだが、千葉・東京・沖縄で、犯人ではないかと疑われる3人の男が浮上。男たちを取り巻く人々の心が揺さぶられていく。
3つの物語が同時進行していくなかで、渡辺は千葉パートで無骨な父親・洋平役を演じた。「李さんの現場の大変さは折り込み済みだし、今回は3分の1だし…とも思ったのですが、やっぱり時間の長さではなくて、労力や悩み、苦しみみたいなものは変わらなかった。それをマゾヒスティックに求めて入っていくところはあるんですが(苦笑)」。
漁協勤めの男という役柄上、実際にフォークリフトの資格まで取得したという渡辺。「李監督作では、表現するという作業はしちゃいけないことになっているんです。そこに洋平として生きて悩むというのを、微振動の演技の中でどう成立させていくかということです。今回は娘の愛子(宮崎あおい)が常に連動していく。そこが演じる上で助けにはなりました」。
愛子は殺人犯かもしれない男・田代(松山ケンイチ)と恋仲になる。1人娘を案じる父親としての胸中は複雑だ。普通とは少し違う無垢で危なっかしい娘に対して、洋平はどうしても過保護になってしまう。あるシーンで、洋平親子を気にかける姪の明日香(池脇千鶴)から「愛子が幸せになれるわけがないって思ってない?」と言われてハッとする。
「子どもについて、近ければ近いほど誤解してしまうことはありがちですね。本当は成長しているのに、自分の中でストップしてしまっている。この子はどうせこういうふうだからと決めつけてしまうことはけっこうあると思います。その親子のどうしようもできないところが苦しいんです」
「そこに波紋を起こすのが田代という男で。彼と結婚したとしてもきっとバラ色の人生が待っているわけではなく、問題は山積みで。父親としてどうやって娘を守っていけるのかで葛藤していくんです。結局どこまで心を開けるのか、人を信じられるのかが問われていきます」。
愛子役の宮崎あおいとは、現場で努めて交流する時間をとった。「彼女はけっこうストイックだから、役に向き合い1人でぎゅーっと入っていくという感じでこれまではやってきたんだと思う。でも、今回は自分がいままでやってきたものとは違う向き合い方を要求されたのではないかと。それは彼女自身もわかっていたことで、だからこそ僕らもちゃんとそのことを見守っていきたいと思いました」
「もちろん、お互いに大人の俳優同士だから、僕から演技について何かを言うことはなかったです。でも、この現場で、ある種心を開くことによって、いろんなものにチャンネルを合わせやすくなるだろうから、少し力を抜いた方がいいんじゃないかと思い、いっしょにお茶を飲んだり、ちょっと心を開いて時を過ごすというスタイルでやってみたら?とは言いました」。
完成した『怒り』では、渡辺、宮崎、松山のほか、森山未來、綾野剛、広瀬すず、妻夫木聡といった実力派俳優たちが放つ熱量に圧倒される。渡辺は「前向きに難しい映画」という感想をもった。
「“生きることそのものが難しいんだ”ということから逃げないで向き合った作品だと思う。それはすごく映画的だし、3つのストーリーを長く丁寧につむいでいくことはなかなかできない。いろんな人間たちを見つめる時間を過ごしてもらわないとできない作品だった。そういう意味では悩ましい作品。だからこそ終わってすぐに言葉が出ない」。
日本アカデミー賞など、国内の映画賞を総ナメにした『悪人』(10)と同じ吉田修一原作の『怒り』。またもやとてつもない力作となったので、心して観てほしい。【取材・文/山崎伸子】