『怒り』『悪人』など吉田修一の小説の映像化作品、成功のカギは?
原作・吉田修一×監督・李相日×プロデューサー・川村元気という映画『悪人』(10)のチームが6年ぶりに放つ渾身の一作『怒り』(9月17日公開)。『悪人』が日本アカデミー賞をはじめ高い評価を受けた秀作だけに、3人は再タッグを組む際「前作を超えたものを作ろう」と気合十分に挑んだと言う。吉田にインタビューし、原作者として映画化作品にどう向き合っているのかを聞いてみた。
八王子の閑静な住宅地である夫婦が惨殺され、室内には血で書かれた『怒』の文字が残されていた。その後犯人は顔を整形し、社会に紛れ込んで生きているという。千葉・東京・沖縄で、犯人ではないかと疑われる3人の男が浮上し、3人を取り巻く周りの人々の心が激しく揺さぶられていく。
実は、吉田が小説の連載を新聞でスタートさせた当時、3人のうち誰を犯人にするのかは決めていなかったそうだ。「決めずに書こうと思っていたわけではなく、単純に決められなかったのです。だから3人それぞれを犯人のように、また犯人ではないように書いていき、半分を超えた時に初めて決めました。実際、いつも明日何を書けばいいのかわからない状態で、そういう意味では最前線で僕が揺れていた感じです」。
吉田は「乱暴に言うと、僕はあまり物語には興味がないんです」と意外なことを口にした。「たとえばAさんの話を書く時、Aさんがどういう人間なのかを書こうとすれば、おのずと物語は生まれます。その際、Aさんについて書こうとしているだけで、Aさんを使った物語にしようとは考えないんです。『怒り』も3人について書こうとしただけで、物語の起承転結などについては考えていませんでした。書いていくうちにその人たちのことが知りたくてしょうがなくなっていき、どんどん人について書き進めていった感じです」。
吉田自身が大の映画ファンであり、映画が好きな理由について「立ち止まれないから」だと言う。「まさに『怒り』はそういう映画で、最初から最後までがクライマックスな映画です。小説には作者のリズムがあり、読み手のリズムもありますが、映画は完璧に作り手のリズムで進んでいきます。それに身を委ねるのが僕自身の楽しみ方なのかもしれない」。
人気作家である吉田の小説は数多く映像化されているが、ここ数年の近作映画を見ても『悪人』(10)や、行定勲監督作『パレード』(10)、沖田修一監督作『横道世之介』(13)、『さよなら渓谷』(13)と、いずれも粒ぞろいの印象を受ける。吉田自身も「いま活躍されているすごい映画監督から、僕の小説を映像にしてみたいと言ってもらえるのは実にうれしいこと。DVDは家で何回も繰り返して観ています」とのことで「本当に僕は映画好きなんですよ」と繰り返しアピールする。
確かに上記作品群はそれぞれに評価が高い作品となったが、吉田はどんなふうに関わってきたのだろうか。吉田は「小説と映画は別物です」と前置きをしながらも、脚本は必ずもらって読んでいると明かした。
「最初にテレビドラマなどで映像化された時は、原作者としてほとんど現場の方と関わっていなかったんです。でも、ある時、WOWOWのドラマ枠(ドラマW)で『春、バーニーズで』(06)を市川準さんに撮ってもらった時、『原作者は最後まで責任を持たなきゃダメだよ』というようなことを言われました。そこから僕自身の考え方が変わったのかもしれない。ただ、責任を持つということと、映画に口を出すということはまったく別のことだとも思っています」。
『悪人』の時には李監督と共に脚本を手掛け「とても面白い作業だった」と振り返る吉田。今回の『怒り』は3つの物語が同時進行していくという多重構造から、全幅の信頼をおく李監督の手に脚本も委ねた。そして完成した映画『怒り』に吉田は「本当に素晴らしかった。熱量が違う。そういう映画にしてもらえたことは本当に小説家冥利に尽きます」と太鼓判を押す。
李監督について吉田は「いろんな意味ですごい。“映画の運動神経”がいいんです。一言で表すとそういうことでしょう」と作家らしい独自の表現で賛辞を贈る。
力のある原作、監督の下、渡辺謙をはじめ森山未來、松山ケンイチ、綾野剛、広瀬すず、宮崎あおい、妻夫木聡といったいまの日本映画界を牽引する実力派スターたちが集結した『怒り』。吉田修一原作の映画リストに、また1本の傑作が加わった。【取材・文/山崎伸子】