塚本晋也、海の中で磔に!壮絶シーンを乗り越えられたのは「スコセッシ教の信者だから」

インタビュー

塚本晋也、海の中で磔に!壮絶シーンを乗り越えられたのは「スコセッシ教の信者だから」

日本を舞台にしたマーティン・スコセッシ監督の渾身作『沈黙−サイレンス−』が、いよいよ1月21日(土)より公開となる。日本から各世代の実力派が参加した本作で、敬虔な信者役として、“海の中で磔にされる”という命がけの撮影に挑んでいるのが、監督・俳優として活躍する塚本晋也だ。「とにかく全身全霊だった」という塚本だが、なぜそこまでに身を捧げることができたのか。インタビューで直撃すると、「スコセッシ教の信者」だというスコセッシ監督への並々ならぬ愛が溢れ出した。

戦後日本文学の最高峰とも称される遠藤周作の「沈黙」を映画化した本作。棄教したとされる師の真相を確かめるために、長崎に潜入する司祭の姿を描く。アンドリュー・ガーフィールド、アダム・ドライバー演じる若き司祭が目にするのは、日本人信徒たちの苦悩と惨状。とりわけ塚本演じるモキチが海の中で磔にされるシーンは、観客にその厳しさを突きつける入魂のシーンとなった。

スタントを使用することなく、実際に手足を板にくくりつけて撮影を敢行。塚本は「現場でもみなさん、命が危ないかもしれないと思ったみたいですね。僕もちょっと思いました」と穏やかな笑顔で振り返る。「もちろん、スタッフの方たちが厳重に身構えてくれていました。とにかく波がザブッとやって来るごとに、鼻の中に水が入ってしまって、必ず咳き込んでしまう。セリフも言わなければいけないんですが、咳き込んでいるうちに次の波が来てしまうので、これはえらいことだと思いました」。

命をかけた迫力のシーンが完成。強い覚悟に驚きを隠せないが、そこまで身を捧げることができたのはなぜだろう?「僕はキリスト教の信者ではないですが、スコセッシ教の信者ですからね。なので命のことは全然、大丈夫です(笑)。非常に厳粛な気持ちで水の中に、しずしずと、元気よく入りました」と敬愛してやまないスコセッシ監督のためならば、どんな撮影も厭わなかった。「モキチのキリストへの信仰と、自身のスコセッシ監督への信仰をなるべくすり合わせるように演じた」とまっすぐな思いを明かす。

さらに「17歳の時に『タクシードライバー』を観てから信仰は始まっていたかもしれない。本当に素晴らしい映画で、何度観ても発見がある。あれは監督が34歳の時に作られた映画ですが、僕が初めて観てから、監督が撮った年齢を過ぎて観てもまだ発見があるんです」と告白。「スコセッシ監督の作品の一部になれるというだけで、全霊を注ごうと思いました」と言うだけあって、オーディション時には「受かるというのは望みが高すぎると思った。スコセッシ監督と同じ空気が吸えるかもしれないという目的で行きました」と子どものような笑顔を見せる。

実際にオーディションで会ったスコセッシ監督からは「塚本晋也という人がオーディションに来ると聞いて、同姓同名かと思った。『鉄男』と『六月の蛇』好きだよ」とうれしい言葉をかけられた。「そこから気持ちがほどけて、楽な気持ちでできました。スコセッシ監督は、そうやって俳優がやりやすい状態を作ってくれる」。それは撮影が始まってからも同じだったとか。

「なんでも自由にやらせてくれて、よかった場合は体中で『エクセレント!』と表現してくれる。だいたい俳優って常に不安に思っているものですから、監督が笑顔で『エクセレント』と言ってくれると心から『よかった』と思えて、次のシーンに頭を切り替えられる。きっと(ロバート)デ・ニーロさんも『エクセレント!』と言われてやったんだと思います。役者のやりたいと思ったアイディアをすべて汲み取って、映画の地肉にしてしまう。そうっいた優しさと獰猛さのある現場です」。

「まさにドリームズ・カム・トゥルー。頂点と言ってもいいような夢の実現。信仰は厚くなるばかりです」とスコセッシ組への参加に喜びを噛みしめつつ、監督・塚本晋也としても大いに刺激になった様子。憧れの場所で、すべてを捧げた塚本の演技は必見だ。【取材・文/成田おり枝】

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