塚本晋也が『沈黙』と『野火』に込めた切なる願いとは?不思議な縁に感慨ひとしお
巨匠マーティン・スコセッシ監督が遠藤周作の名著「沈黙」と出会ってから28年もの間、映画化を熱望していたという『沈黙−サイレンス−』(1月21日公開)。監督・俳優としても活躍する塚本晋也が敬虔な信者役を演じている。「スコセッシ教の信者」と公言する彼が、監督への愛とともに本作に捧げたのは、危機を感じているという現代社会への“祈り”。自身の監督作『野火』にも通じる、塚本の切なる願いに迫った。
本作は、17世紀の日本におけるキリシタン弾圧をポルトガル人司祭の目を通して描いた歴史ドラマ。塚本は決して信仰を捨てないキリスト教信者・モキチを熱演している。「『タクシードライバー』を見て以来のスコセッシ教の信者」と監督への愛を溢れさせる塚本は、「信心を捧げるように、全身全霊で演じた」と過酷な撮影も何のその。「まさにドリームズ・カム・トゥルー。これから走馬灯を見るんじゃないかな」と茶目っ気たっぷりに、感激の思いを明かす。
現場では、監督・塚本晋也としても学ぶことが多かったようだが、とりわけ「現場の規模は違うけれど、現場の中心となる映画の作り方も、志も日本と同じだった。それは非常に励みになった」と力を込める。「スコセッシ監督というスペシャルな映画を作っている人の現場は、どんなにスペシャルな現場なんだろうと思っていたんです。でも映画に向き合う志はみんな同じ。日本のスタッフたちにも『同じだぜ!』とすぐに伝えたかったくらい。いいお土産ができた」と流れる映画人の情熱は世界共通だと実感し、今後の映画作りの大きな励みになったと言う。
2015年には、大岡昇平の同名戦争文学を『野火』として映画化した塚本。第二次世界大戦末期のフィリピンを舞台に、壮絶なパワーをもって人間の弱さや戦争の愚かさを描いた渾身作だ。塚本は「スコセッシ監督の映画だったらどんな内容でも関わらせていただけて光栄なのに、奇しくも『野火』とテーマが重なる」と不思議な縁にしみじみ。「どちらも日本の文豪が書いたものであり、スコセッシ監督も僕も、それぞれ何十年も作りたかった大事なテーマ。調べれば調べるほど、『野火』と『沈黙は』同じ地平の上にいると感じる。その大事なふたつを、同じ時期に集中して全力投球できたのは、本当に光栄」。
『野火』に込めた思いについて、「戦争のようなものに近づいている感じがして、『野火』に関しては使命感のようなものが出てしまいました。僕は今まで“都市と人間”をテーマにしてきましたが、子供ができると次の世代がだんだん心配になってくる。これからの世の中『ちょっと心配だ』ということが多すぎて、祈りのような気持ちが起こったんです」と、時代の警告としての意味合いを語る。
そして、キリスト教弾圧による日本人信者の苦悩と惨状を描く本作と、『野火』の共通点について、こう続けた。「戦争というのは、権力や上からの力で一般の人間が大事な自由を奪われるもの。『沈黙』は宗教を扱っていますが、同じことが描かれています。上からの力で一般の人間がひどい目に遭うという構造は、いつも同じ。『そうならないでください』という祈りをモキチ役に反映させると、実感を込めて演じることができました」。
「歴史は悲しいまでに繰り返す」と塚本。「『野火』を作って戦争のことを調べてみたりすると、『あららら!』というくらいに歴史が繰り返されている。今、その危険な時期と社会の風潮がそっくりになっている。アンテナをビンビンにしていなければいけない時代」とじっくりと話し、「『野火』は小さい映画ながら多くの人が観てくれましたが、『沈黙−サイレンス−』でそういった大事なテーマをもっと多くの方に感じてもらえるとありがたい」と訴えていた。【取材・文/成田おり枝】