殺しが静かにやって来る|MOVIE WALKER PRESS
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殺しが静かにやって来る

1969年9月23日公開,105分
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「続荒野の用心棒」のセルジオ・コルブッチが、ヴィットリアノ・ペトリリ、マリオ・アメンドラ、ブルーノ・コルブッチと脚本を共同執筆し、さらに監督したマカロニ・ウエスタン。撮影はアレハンドロ・ウローア(アレクサンダー・ウローア)、音楽は、エンニオ・モリコーネ。出演は、「女性上位時代」のジャン・ルイ・トランティニャン、その他クラウス・キンスキー、フランク・ウォルフなど。

ストーリー

※結末の記載を含むものもあります。

アメリカ西部の町、スノーヒルは、殺し屋が占領する恐ろしい町だった。殺し屋のボスはロコ(K・キンスキー)。ロコの黒幕は、判事のポリカット(L・ビスチリ)たった。そんな町に、幼時、両親をポリカットに殺されたサイレンス(J・ルイ・トランティニャン)がやって来た。ロコに夫を殺されたポーリン(V・マクギー)に代金千ドルで、復讐を頼まれたのだった。しかし、ポーリンは千ドルを、ポリカットの奸計でつくることができず、それを知ったサイレンスは、無償で仇討ちをひきうけた。酒場でロコと戦かおうとしたサイレンスは、ロコの部下に襲われ重傷を負った。が、ロコも、ポーリンの夫殺しで、保安官ゲデオン(F・ラルフ)に、逮捕された。ゲデオンは、この無法の町の秩序回復のために心を砕いている一人だった。一方、サイレンスは、ポーリンの家で手当てをうけていたが、やがて、二人は愛し合うようになっていった。しばらく平穏な日が続いた。が、それもロコの手下たちが、留置所を襲い、ロコを救出したため、終りをつげた。傷つきながらも再びロコと対決したサイレンスは、その場にかけつけたポーリンとともに、ロコの銃のため、命を絶たれたのだった。

作品データ

原題
Il grande silenzio
製作年
1968年
製作国
イタリア
配給
20世紀フォックス
上映時間
105分

[c]キネマ旬報社

映画レビュー

3.8
  • やまひで

    3
    2010/2/14

     数十年ぶりに偶然に本作を観終わって、ふと思うことがあった。確か、初めて本作をテレビで観た時には、エンディングはかなり無理をした「ハッピィー」ではなかったかと。それで、気になって調べてみると、やはり、今回見たものは、オリジナル・ヴァージョンで、当時テレビで観たものは、北アメリカ・日本版だそうである。とすれば、日本人の美意識も当時はヨーロッパでは知られておらず、アメリカ人並みのそれと随分と見くびられていたものである。

    さて、1968年以前のアメリカ正統派西部劇の本質は、正義は最後には勝つ、謂わば「勧善懲悪」の世界を提示することによって、観衆に「秩序と安寧」のカタルシスを味あわせることにあったと言える。これに対して、1960年代の半ばから流行りだした「イタロ・ウェスタン」、俗称「マカロニ・ウェスタン」の美学は、そのストーリーの残酷さやアクロバティックなガン・ファイトを見世物に、登場するアンティ・ヒーローの非道徳性、反道徳性を観衆に見せつけることにあった。これは、正統ウェスタンのストーリーを、ヨーロッパ的な内面の屈折を反映させて「捻った」ものとも言えるであろう。このような性格を持つ「イタロ・ウェスタン」の系列の中で、「パリ五月革命」の起こる1968年に公開された本作はカルト的存在のものである。何故か?

    第一に、その舞台設定が雪原であることである。「ウェスタン」というと、太陽のぎらつき、乾いた砂埃が舞うというシーンが定番である。その予想を覆すように本作はその作品の最初から雪に覆われた世界が舞台となっている。しかも、ストーリーが展開するその町の名も、ご丁寧に「スノーヒル」と名付けられている。

    第二に、声帯を切られて唖になってしまった主役、その名も「サイレンス」が携帯する銃が、木製ホルスターの付いた「モーゼル」の自動式拳銃であることである。素人にも目の付く、特異な形をしたこの拳銃は、ドイツ製の拳銃である。本作の時代設定が1898年となっているが、このドイツ製拳銃「Mauser C96」は、そのモデル名が示す通り、1896年に製作され始めた自動拳銃で、木製ホルスターを装着して使用できる点も本拳銃の特徴になっていた。(因みに、何故日本では、「Mauser」の読みがドイツ語での「マウザー」ではなく、フランス語風の「モーゼル」になったかは、不明である。)

    第三に、最後のエンドロールが出る直前に映される説明書きに書かれてある内容が社会批判的性格を持っていることである。サム・ペキンパー監督の『ワイルドバンチ』(1969年作)の銃撃戦の美学を先取りするような、サルーン内での、賞金稼ぎたちによる賞金首たちとその情婦の銃殺をもって、これを豪雪の年1898年に「合法の名の下に」引き起こされた「虐殺」と名付けている。映画の説明書きは更に続けて、次のように語る:

    「男供の履いている皮のブーツがこれから千年この地の土の砂埃を舞い上げようとも、ここで死んだ貧しい人々が流した血の跡は、何物によってもかき消されることはないであろう。」

    このメッセージは、ドイツ人「怪優」K.キンスキー演ずるところの極悪賞金稼ぎロッコが作中数回に亘って語る台詞「俺は法に触れるようなことは何もやっちゃいないさ!」の文脈を明確にさせてくれる。貧困のために法を犯さざるを得なかった「無法者」、合法性の枠内で「不正義」をはたらく賞金稼ぎ、そして両者の中間的立場に立つ、即ち、正当防衛という形でかろうじて合法性の枠内に留まり、「正義」の復讐を謀る殺し屋サイレンスという三者の関係である。合法的であるということは、必ずしも正義にはつながらないということなのである。しかも、その「合法性」の手先たる賞金稼ぎの背後には、土地の判事兼商人が付いており、このことにより、その「合法性」が、現代的に解釈すれば、資本主義的秩序であることが類推できるようになっている。この意味で、本作が当時のニュー・レフトの連中に支持されたというのも頷ける。

    という訳で、僕も本作(原題:『偉大なる沈黙』)を僕のB級カルト作品集の一本に加えるものである。

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  • 晴耕雨読

    3
    2009/8/7

     イタリア製西部劇の傑作探しの旅で見つけた、西部劇史上最も極北に位置する傑作です。監督は「続・荒野の用心棒」や「ジャガー/豹」のセルジオ・コルブッチであり、凄まじいほどのオペラ的展開を見せてくれる異色作です。舞台は大砂塵渦巻く荒野ではなく、山間に広がる白銀の世界でのオープニング。数多くのイタリア製西部劇を鑑賞してきた私に今までの作品とは何か違うといった感情を巻き起こします。しかも主人公は「男と女」のジャン・ルイ・トランティニャンが、イタリア製西部劇の定番であるコルト・シングルアクション・アーミーリボルバー・キャバリーモデルのピースメーカーではなく、「殺しの免許証」で有名な30センチ近くのモーゼルミリタリーを携帯しているのです。そして主人公は聾唖というハンディキャップを持った「座頭市」を彷彿とさせる人物設定。映画はそうした表面的な絵面や小道具に拘泥しながら、クリント・イーストウッド監督の名作「許されざる者」を凌ぐ冷酷かつ非情で暗い展開を見せるのです。

     復讐のためにスノーヒルと呼ばれる一面銀世界の町を訪れた主人公のサイレンスは、相手を執拗に挑発することで先に銃を抜かせて、正当防衛による合法的殺人を犯すのですが、これこそが前出の「許されざる者」を先駆した復讐劇が単なる殺人であることに変わりないというメッセージをしています。しかし、物語後半では「続・荒野の用心棒」のDJANGOのようにハンディキャップを受けてしまった主人公が、悪逆非道なロコと絶体絶命の決闘に挑まなければならなくなるのです。ロコを演じているのは「夕陽のガンマン」でリー・ヴァン・クリーフから執拗な嫌がらせを受けたクラウス・キンスキーであり、爬虫類を思わせる風貌ならではの弱者でも平気で射殺する冷酷非情ぶりを演じています。この冷酷非情な悪役ぶりも「続・夕陽のガンマン/地獄の決闘」のリー・ヴァン・クリーフや「シェーン」のジャック・パランスを凌いでいるかもしれません。

     主人公サイレンス、サイレンスが愛した未亡人、町の治安を守る保安官はロコと対峙しますが、映画はありきたりなエンディングを迎えることはありません。それは、韓国映画の「チェイサー」を始めとするサスペンス・ミステリーのようだと言えるでしょう。見事な邦題をつけた日本側宣伝スタッフの努力が買えるイタリア製オペラ西部劇の傑作です。

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