映画史に残る『クー嶺街少年殺人事件』…台湾ニューシネマを駆け抜けたエドワード・ヤンの功績|最新の映画ニュースならMOVIE WALKER PRESS
映画史に残る『クー嶺街少年殺人事件』…台湾ニューシネマを駆け抜けたエドワード・ヤンの功績

コラム

映画史に残る『クー嶺街少年殺人事件』…台湾ニューシネマを駆け抜けたエドワード・ヤンの功績

香港映画などの台頭により、80年代初めの台湾映画は大きく低迷していた。そんな状況を打開するべく、芸術性が高く国際的にも展開できる映画作りを目指して、政府主導で積極的に若い人材を起用。その一貫として制作され、“台湾ニューシネマ”と呼ばれるムーブメントの先鋒となった作品が、4人の新人監督によるオムニバス『光陰的故事』(82)だ。

本作の監督の一人であり、のちに『クー嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』(91)を手がけ、台湾を代表する監督となったのがエドワード・ヤン(楊徳昌)だ。現在、ザ・シネマメンバーズではヤンの代表作2本を配信中。配信作品を振り返りながらヤンの功績を紹介したい。

【写真を見る】80年代の台北を舞台に、移ろいゆく街並みを映しだした『台北ストーリー』
【写真を見る】80年代の台北を舞台に、移ろいゆく街並みを映しだした『台北ストーリー』[c]1991Kailidoscope

前述の通り、『光陰的故事』で一躍注目監督となったヤン。その後は初の長編映画『海辺の一日』(83)を皮切りに、『台北ストーリー』(85)や『恐怖分子』(86)、『エドワード・ヤンの恋愛時代』(94)、『カップルズ』(96)といった作品を次々と発表。『ヤンヤン 夏の想い出』(00)ではカンヌ国際映画祭の監督賞に輝くなど、世界的な称賛も獲得していった。

今回、ザ・シネマメンバーズで配信されるのは『台北ストーリー』と『クー嶺街少年殺人事件』の2本。『台北ストーリー』では、経済成長のなかで変貌する1980年代の台北を舞台に、一組の男女とそれを取り巻く人々のドラマが描かれる。移ろいゆく街並みを切り取ったようなはかなげな映像が美しく、今世紀最高のチェリストと言われるヨーヨー・マによる音楽も合わさり、静かな感動が胸に響いてくる。台湾公開時には動員が振るわず、わずか数日で公開が打ち切られたが、ロカルノ国際映画祭審査員特別賞を受賞したほか、各国の映画祭でも高く評価された。

エドワード・ヤン監督の、映画史に残る傑作『クー嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』
エドワード・ヤン監督の、映画史に残る傑作『クー嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』[c] 1991Kailidoscope

BBCが1995年に選出した「21世紀に残したい映画100本」に選ばれ、2015年の釜山映画祭が発表した「アジア映画ベスト100」にも、『東京物語』(53)、『七人の侍』(54)などと共にベスト10入りするなど、映画史に残る傑作と評されているのが『クー嶺街少年殺人事件』だ。1961年に台北で起きた、14歳の少年によるガールフレンド殺人事件をベースにした作品で、青春期特有のきらめき、残酷さを描きながらも、一人の少年とその家族、友人たちのドラマを通して、当時の台湾社会が抱える問題をもリアルに映しだした。
ヤン自身の家族が、1940年代の終わりに中国大陸から台湾に移住した外省人であり、本作では外省人たちとその家族の物語が展開される。故郷へ帰ることを夢見る親世代と、当地への思い入れはなく、エルヴィス・プレスリーや西部劇などのアメリカ文化にあこがれる子どもたちとの対比も、独特なムードを醸しだしている。

残念ながらヤンは、『ヤンヤン 夏の想い出』を発表した頃にガンを患い、闘病生活を経て2007年に59歳でこの世を去った。しかし、彼の作品はウォン・カーウァイやオリヴィエ・アサイヤス、是枝裕和など世界中の映像作家に影響を与え、いまも映画界に息づいている。彼の代表作からその功績を感じ取ってほしい。

文/トライワークス

■ザ・シネマ メンバーズ
<台湾青春映画特集~ヤング・ソウル・レベルズを探して~:エドワード・ヤン>
https://members.thecinema.jp/

ラインナップ全2作品(順次配信中)
『台北ストーリー』(85)
『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』(91)

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