『スパイの妻』黒沢清監督・濱口竜介・野原位の師弟座談会が実現「こういう恩返しがあるのか、と思いました」
――濱口さんたちは、プロット段階で、予算面についてどう考えていたのですか?
濱口「まったく予算を考えていなかったわけではないんですが、きっと黒沢さんがなんとかしてくれるはずだとも思っていました(笑)」
野原「まずは、おもしろいものを!ということで、大風呂敷を広げてしまいました(笑)。企画が通り、黒沢さんが撮影稿(撮影するための最終脚本)にしてくださる段階で、いろいろ苦しまれたと思います」
黒沢「苦しみましたよ(笑)。でも、本当におもしろい内容だったので、これは進めたいと思いました」
「記録映像のシーンは、直接的な残酷描写が一切ないのに、震撼させられました」(濱口)
――歴史サスペンス、ロマンス、スパイ映画と、いろいろな要素が入った見応えのある作品となりましたが、どういうところから着想を得たのですか?
濱口「国際港湾都市にはびこるスパイを摘発するために、憲兵隊が配置された、というような当時の新聞記事があったので、そこを膨らませ、ゼロから作っていきました。資料を集めて年表を作り、時代の流れをある程度把握したうえで、書いていきました。それで、当時、スパイが見つける国家機密とは一体なんだったのか、というところで、映画に出てくる満州での関東軍の研究機関などについても調べました」
――劇中に登場する、それらしき映像が生々しかったです。
濱口「映画に出てくるような物証としてのフィルムは現存してなかったのですが、実際にその映像を観たという証言はたくさん残っていました。そのことにインスパイアされたのと、黒沢さんが過去に監督された『回路』や『CURE』でも、昔のフィルムが登場していますから、黒沢さんが監督されるのであれば、そういう記録映像がリアリティをもって作れるはず、ということは思っていました」
黒沢「実際に撮るのが、これまた大変でした(笑)。通常、昔のフィルムを映写するシーンを撮る際には、クランクイン前にそのフィルムを撮って用意しておくんです。ですから今回も大慌てで。まったく余裕のない中、ロケハンや美術の打ち合わせも同時進行していて、そのうえで『この日に、軍の記録フィルムを撮ります』と言われて『うわっ、きた!』となりました。めちゃくちゃバタバタななかで、静岡県のロケ地まで行って撮影したんです」
――とてもリアルで怖い映像でした。
黒沢「再現映像なので、当時の人に見えるような若者を集めないといけなくて。もちろん、演じてくれたのは、いまどきの若者ですが、それっぽく見せる工夫を多くしました。坊主頭になってもらったり、杭に縛り付けたり(笑)。5時間くらいで撮らなければいけなくて、本当にしんどかったです(苦笑)」
濱口「すいません。でも、できあがった映像は、本当に恐ろしいものになっていました。いわゆる直接的な残酷描写が一切ないのに、またしても震撼させられました!」
黒沢「恐ろしいものが、見えそうで見えないというところが難しかったのですが、長年やってきたことなので、およその勘は働くんです」
野原「怖い映像と怖くない映像の境目とはなんなのでしょうか?」
黒沢「そこが難しいところで、僕はまず、実際の撮影者がどうやって撮っていたのかを考えます。記録フィルムなので、全体がわかるところにカメラを置き、遠慮がちに撮ったに違いないと。当時は、いまのビデオカメラのように、手元に寄ったりすることも簡単にはできないから、よほど重要なものしかアップで撮れないんです。また、素人がカメラを回しているので、必ず画面の中央に撮りたいものを置き、上部がポコンと空く画になると思うんです。それを、NHKのカメラマンに細かく説明して撮ってもらうんですが、これが案外難しい。プロにわざと下手に撮ってもらうわけですから」
濱口「見えないことによって、かえって見てはいけないほど恐ろしいことが行われている、という気配が画面に充満していました」