永作博美と井浦新、『朝が来る』の河瀬組にうなる「頭で考えた芝居ではない」「魂が削られた」
「そりゃあもう、魂は削れますが、それは本当に幸せなことです」(井浦)
「撮影も時間軸に沿って、完全な順撮りで行われました」と言う井浦。「だから、すでに撮っている未来のシーンを考えてから、足し算や引き算をして芝居をすることは一切なかったです。物語と同じように1日、1週間、1か月が過ぎていくから、心の動きがそのまま次のシーンへとつながっていく。変になにか芝居をしようとも思わず、目の前で起きたことに対して、そのまま反応していくだけの状態になっていくんです」。
すなわち、永作と井浦は、佐都子と清和として、様々な問題と対峙し、葛藤していったそうだ。「それはもう苦しいんですよ」と苦笑する井浦。
永作も「普段、自分が生活している時と同じように、その場その場で真剣になって、いろいろな決断をくださなければいけなかった。脚本に書かれていないことや、知らないことが、本番でたくさん起こるから、河瀬監督には気を許せなかったです」と、常に現場では気が張っていたそうだ。
井浦も「本当にそう」とうなずく。「今日もきっとなにかが起きていく、と身構える日々でした。自分に与えられた台詞があっても、河瀬監督は、常にそれを超えるものを目指していますから。言ってみれば、役者がそこでなにを感じて、どう生きているのかを記録しようとされていく感じです。心の動きやそれぞれの葛藤がそのまま積み重なっているものが映像に映されていきました」。
その結果、河瀬組では、「とても充実した時間を過ごせた」と、口を揃える2人。永作「今回は、“役積み”という、あまり経験できなかった準備期間をとってもらえたことは本当にありがたかったです。なによりも、頭で考えた芝居ではないものを出せたという点が、役者として、とても幸せなことでした」と至福の表情で話す。
井浦も「そりゃあもう、魂は削られますが、それは本当に幸せなことです」と言葉をかみしめる。「虚構なのに、嘘がなくなってしまう現場なんですから」。そう言いながら、微笑みあった2人。ぜひ永作たちが紡いだ、真実のドラマをスクリーンで堪能してほしい。
取材・文/山崎伸子
※河瀬直美監督の「瀬」は旧字体が正式表記