『百円の恋』(14)の武正晴監督と脚本家の足立紳ら製作陣が再集結したボクシング映画『アンダードッグ』が11月27日(金)に前・後編同日公開となる。本作は、過去の栄光が忘れられずボクシングにしがみつき、若きスター選手候補たちの踏み台となり果てた男、末永晃(森山未來)を中心に、過去に起こした事件を引きずり生きる若手天才ボクサー、大村龍太(北村匠海)、大物芸能人を父に持ちながら、笑いの才能に恵まれず番組の企画でボクサーを目指す芸人、宮木瞬(勝地涼)ら、ボクシング界の“かませ犬(=アンダードッグ)”たちの悔しみと葛藤を描いた再出発の物語だ。
今回、TBSラジオ「ジェーン・スー 生活は踊る」のお悩み相談コーナーへの投稿をきっかけに、あらゆるエンタテインメントに対する羨望にも似た “悔しい気持ち”を赤裸々に綴り、宮藤官九郎や星野源がラジオ番組で取り上げたことでも話題を呼んでいるエッセイ「悔しみノート」の著者、梨うまいがコラムを寄稿! 様々な“悔しみ”を力に変え、不遇な現実に立ち向かっていく男たちの物語、『アンダードッグ』について独自の目線で綴ってもらった。
ノーガードで観ると一発KO!?身に覚えがありすぎる“かませ犬”たちの姿
チャンピオンの座をかけた栄光の舞台から7年、“かませ犬”としてくすぶるボクサーの晃をはじめとした、中途半端のまま立ち上がれない、情けない男たちの映画『アンダードッグ』を前・後編通して4時間強、たっぷり堪能した。痛いところを突かずに黙って庇護してくれる存在に無意識に甘え、“誰の助けも届かないドン底”ですらないくせに、嘆き、怒り、努力もせずに不貞腐れている。そんな正真正銘の“かませ犬”たちの横っ面をひっぱたいてやりたいが、それに至るにはこの映画…身に覚えがありすぎた。
ボクシングという題材で前後編4時間超となれば『あゝ、荒野 前後篇』 (17)と比較し、迫力ある試合シーンだけに注目して構える観客も多いだろう。YouTubeにある本作の予告動画へのコメントにもそうした声が散見されたが、思わずニヤついてしまった。気をつけろ、ノーガードで観てると一発KOをくらうぞ!
そもそも森山未來が主演なのだから、ボクシングシーンの迫力やリアリティに今更驚くこともない。やってのけて当然だ。スティーブン・バーコフ版のカフカ「変身」の舞台を観た時から、私のなかで彼は完全にバケモノ認定されている。彼が演じたのは、不安な夢から醒めたグレゴール・ザムザ。捻じれ、膨れ、折れ曲がる、あの身体はまさしく異形。“毒虫”という想像を超えた人ならざるものに仕掛けなしの身一つで変身してみせたのだ。
既にその身体能力の高さが周知のものである彼の存在は、むしろ“身体を張ったシーン”に必要以上に注目させないためのものではないか…。そう考えるほどに、この作品の中心には強いメッセージがあり、そこへ向かって推進する物語の力を感じる。
ルーズリーフ1枚が1ラウンド…“悔しみ”を書き殴った日々
現状に満足なんてしていない。頑張れるものなら頑張りたい。しかし、堂々努力できるほどの自信もないし、気力もない。2年前の自分は、まさに彼らと同じ状態だった。晃にとってのボクシングが、私の場合は演劇にあたる。
日本大学芸術学部を卒業後、フリーとして活動していたが、いつも自分の出来に満足できず、理想に追い詰められ心身ともに調子を崩した。自分の身の丈には合わない夢だったのだ、と諦めようとしても、心のどこかで惨めったらしくなにかに期待するのがやめられない。映画、小説、音楽、テレビのCMにさえも、活き活きと創作活動をする人の存在を感じ、その度に苦しくて恥ずかしい嫉妬心を抱いた。
そんな、逃げだすことも立ち上がることも出来ない“くすぶり無間地獄”のなか、思いもよらぬアドバイスがラジオの向こうから届いた。
「その“悔しみ”を綴ったノートを作ってみては?」
出来るものなら手放したい感情を、わざわざ書き綴る。悔しい!妬ましい!自分だって出来たはずなのに…ドロドロに煮立った心に手を突っ込んで書き起こす作業は、想像以上に苦しかった。「こんなことをしてなにになる?」内側から湧いてくるその声に捕まる前に駆け抜けられるよう、中綴じノートではなく、ルーズリーフに書き殴った。ルーズリーフ1枚が私にとって全力で拳を振りきれる、ギリギリの“1ラウンド”だった。
世の中のすばらしい作品に打ちのめされ、自分自身の感情にもぶん殴られながら、1枚1枚ラウンドを重ねていくと、次第にその痛みに慣れていった。羞恥も麻痺してくる。今更笑われるのがなんだ、元から負け犬じゃないか。