黒沢清監督がジャ・ジャンクー作品を深掘り!「日本と中国の関係についての映画を撮ってみたい」

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黒沢清監督がジャ・ジャンクー作品を深掘り!「日本と中国の関係についての映画を撮ってみたい」

『山河ノスタルジア』誕生のきっかけは?「豊かになるほど失われていることも多い」

【写真を見る】ヴェネチア国際映画祭で銀獅子賞受賞の黒沢清監督が感じる、中国映画の強みとは
【写真を見る】ヴェネチア国際映画祭で銀獅子賞受賞の黒沢清監督が感じる、中国映画の強みとは[c]2020 TIFF

黒沢「もうひとつ気になるのが、80年代とか2000年代のちょっと古い時代設定という部分。これも日本ではものすごく大変で、ちょっと古く見える場所があまりないのでかなり面倒な作業になる。日本人からすると、中国の“ちょっと古い”がすぐにはわからないですが、ジャ・ジャンクー監督はそのような少し時代がかってる物語をあえて選んで見せるために、どのぐらい苦労をされているのでしょうか?」

市山「『山河ノスタルジア』と『帰れない二人』は、両方とも2000年ぐらいの時期から現代に至る、前者は近未来にまで至る物語が展開します。かなり長い時間に渡るので、やはりいろいろな苦労がありましたが、なによりありがたかったのは、北京や上海のように急速に発展した場所ではなく山西省の物語だったので、本当に変わらないところがいくつも残っていたことです。『山河ノスタルジア』のなかで、ある商店街が出てきますが、ここは80年代からなにもかわっていない。
たとえば電化製品のような小道具はさすがに当時のものを集めて持ち込んで撮影しましたけど、ロケ場所自体はなにも変える必要がなかった。ほかにもディスコが出てきましたが、ここも昔使われていて潰れてしまった店が、誰も使わずにそのまま残っているんです。新しいディスコが近くにできても、古いものはそのまま残っているので、少し装飾を施すだけで2000年当時のディスコが復活するわけです。日本ではあまり考えられないことですよね」

黒沢「古い場所が残っているとはいえ、それでも少し昔の時代設定にするのはやはり手間がかかるように思えます。しかもそれを三つの時代に分けたりして現代までの物語を取り上げていく。中国の近代史と言いますか、この数閏年はかなり激動の時代だったと思いますが、ジャ・ジャンクー監督は近代史に興味があるから開発中のような場所に興味を示されているのでしょうか?」

中国“第六世代”を代表するジャ・ジャンクー監督。残念ながら体調不良で欠席となった
中国“第六世代”を代表するジャ・ジャンクー監督。残念ながら体調不良で欠席となったPhoto courtesy of Xstream Pictures

市山「ジャンクーが映画を撮り始めた97年ごろから、中郷は恐るべき変化を遂げたと言ってもいいでしょう。経済的にも大発展して、それを彼は映画を撮りながら目の当たりにしてきた。『山河ノスタルジア』を撮る前に制作された、ウォルター・サレス監督のドキュメンタリー映画『ジャ・ジャンクー、フェンヤンの子』のなかのインタビューで、『中国はこの20年でものすごく豊かになった。『プラットホーム』や『世界』に出ていた若者たちがいまの中国を見て、はたして彼らが理想としたものなのだろうか疑問に思う』と語っていました。豊かになるほど失われていることも多い。それが『山河ノスタルジア』に向かわせたひとつの要因だと思います。
『プラットホーム』を撮る前、活動禁止処分中に1年かけて脚本を書きながら、彼はカメラマンと一緒にいろいろな映像を撮っていたのですが、それをアーカイブとして残していて、改めて観直していたら『これは使える』と思ったようで、『山河ノスタルジア』には2000年当時の映像がかなり出てくるんです。そのフッテージを映画に取り入れることが前提のように脚本が書かれているほど制作の役に立っていて、同じような考えで作ったのが『帰れない二人』でもあります」

黒沢「『帰れない二人』の最初の方で主人公たちが踊ってるところがありますが、そこでちょっと違う種類の踊りを踊ってる人たちが映ってたりしてましたが」

市山「あれは『青の稲妻』のフッテージですね。2002年ごろに撮られたものです」

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