黒沢清監督がジャ・ジャンクー作品を深掘り!「日本と中国の関係についての映画を撮ってみたい」
ジャ・ジャンクー映画は80年代香港映画からの影響が!?
黒沢「物語についても聞いてみたいのですが、特に近年の作品では非常に独特な映画であると同時に、骨格になるのは1組の男女が出会ったり別れたりをする。とてもシンプルなメロドラマの構造で、ある種のジャンル映画と言ってもいいでしょう。このように一般の人たちにわかりやすい物語の構造をあえて選ぶのはキャリアを重ねていくうちに自然となっていたものなのか、それともなにかのきっかけで取り入れようとしたのか。どのような経緯だったのでしょうか?」
市山「おそらく最初にジャンル映画的なことをやったのは『罪の手ざわり』の最初の物語ですね。本当にジャンル的なもので、カンヌで上映したときには海外のジャーナリストたちが驚き、『これはオフィス北野の製作だからですか?』と聞かれていました(笑)。ジャンクーは香港のギャング映画の大ファンでして、最初に撮った『一瞬の夢』の時にも映画館のシーンでジョン・ウー監督の『狼 男たちの挽歌・最終章』の音声が流れるくらい。
『帰れない二人』では地方のチンピラが主人公で、抗争しているという設定からメロドラマへと展開していきますが、それはまさに香港映画、とりわけ80年代のジョン・ウー監督の映画から影響を受けているとみて間違いないでしょう。『罪の手ざわり』では香港からアクション監督を招いて伝統的な撮影方法をとりましたが、『帰れない二人』で車を囲まれるシーンでは、監督が自分で振りを付けながら、よりリアルなものを目指してやっていましたね」
黒沢「ジャンクー監督は今後、そういった方向に進んで行こうと考えていらっしゃるのでしょうか?それともいままで通り作品の一部に留めておこうとしているのか。つまり、中国ではいま完全なアクション映画も作られていますし、香港やハリウッドでも撮ってみたいという欲望もあるのか気になっています」
市山「実はそういう企画が待機作の中にもあって、『罪の手ざわり』の前に『在清朝』という作品を撮るということが中国では大々的に発表されていました。結局キャスティングがうまく決まらずに中止になってしまったのですが、監督自身はまだやめるといっていないので、いつかは撮る可能性があります。
ニコラス・レイ監督の『北京の55日』でも描かれた愛国的に排斥主義を掲げる義和団の若者たちを描いた武侠映画なのですが、元々ジョニー・トーが香港のスポンサーに頼まれてジャ・ジャンクーにコンタクトを取って準備を進めていました。構としては娯楽映画で、でも内容的には武術を訓練するけどそれが役に立たないと気付き、時代の流れに飲み込まれていく若者が描かれるという、非常にジャ・ジャンクー的な題材になるといわれていました」
黒沢「ジョニー・トーの名前が出たので思い出したのですが、10数年前に香港映画祭でジャ・ジャンクーと会った時に、ジョニー・トーが開いたパーティーに誘われて行ったんです。その時初めてジョニー・トーに会ったのですが、行くやいなや僕とジャンクーに強烈なハグをしてきて(笑)。たぶん側から見たら僕とジャ・ジャンクーがジョニー・トーの舎弟に見えるなと思いましたね(笑)」
市山「僕もジャ・ジャンクーが『長江哀歌』を提げてフィルメックスに来た年に、ジョニー・トーも『エレクション』で来てまして、オープニングの後にジャンクーとチャオ・タオと一緒にレストランに呼ばれたんです。そしたらその後香港の新聞に『ジョニー・トーがジャ・ジャンクーとチャオ・タオ、オフィス北野のプロデューサーにごちそうした』というのが出ててなんだこれはと(笑)」