YouTubeでの過去作配信も開始!“沖縄”を描き続ける照屋年之監督に映画制作の魅力やゴリエ復活について聞いた
沖縄を代表するお笑い芸人、ガレッジセールのゴリとして活動しながら、2006年に短編映画『刑事ボギー』で監督デビューを果たした照屋年之(当時はゴリ名義)。本名である照屋年之名義で監督を務めた自身2作目となる長編映画『洗骨』(18)は、沖縄で異例のロングラン上映を記録しただけでなく、国内外の映画祭で多数の賞を受賞。さらに、2019年には同作で日本映画監督協会新人賞を受賞するなど、活躍の場を広げている。
紀里谷和明監督の言葉がきっかけで映画監督に
そんな、映画界からも今後が期待されている照屋監督にフォーカスを当てた企画が、4月17日(土)、18日(日)に「島ぜんぶでおーきな祭 第13回沖縄国際映画祭」で行われる「 照屋年之監督 短編映画YouTube上映会」や「映画『洗骨』ロケ地巡り」だ。これらの企画により、これまで短編、長編合わせて13作の監督を務めてきた照屋の過去作を島せんぶでおーきな祭のYouTubeチャンネルで観られたり、作品の裏側を知ることができたりと、これから作品に触れる人にも、また監督のファンにとっても貴重な機会となっている。
そこで今回は、照屋監督に自身のターニングポイントとなった作品や、最新作である満島ひかり主演作『演じる女』(21)を中心に、“監督、照屋年之”の軌跡を振り返ってもらった。
所属している吉本興業から「やってみないか?」と誘われたことが映画を撮ることになったきっかけだが、当初は断るつもりだったという。
「僕は、日本大学芸術学部の映画学科に行ってたんですけど、役者になりたかったので入っていたのは演技コースだったんです。当時、“目立ちたがり屋の照屋くん”としては『監督なんて裏方、やりたくない。だって自分が出てないんだもん!』という感じでした(笑)。で、2006年ごろに、吉本で芸人50人に短編映画を撮らせるというプロジェクトが立ち上がって、僕にも声がかかったんです。でも、僕は断るつもりだったんです」
ところが、ある人物に怒られたことがきっかけで、結局は監督を引き受ける羽目になってしまう。
「その話が来た時、僕は紀里谷(和明)監督の『GOEMON』に出演していて、撮影の真っ最中でした。そこで、紀里谷監督の演出の仕方や現場の動かし方なんかを見ていて『監督って、目や耳が10個も20個もないと無理なんだな』と感じたんです。だから監督に『実はいま、吉本から短編映画を撮らないかっていう話がきているのですが、監督を見ていて、やっぱりオレにはできるわけがないってわかったので断ろうと思います』って、ほんの雑談程度の気持ちで言ったんです。そしたら、急に紀里谷監督の顔が怒りに染まって…。『ゴリくんね、目の前にチャンスが来ているのに、そのチャンスを手にしないアメリカ人はいないんだよ!』って言われたんです。急にアメリカ人に例えられたのでビックリもしたんですけど(笑)」
頭の中にある理想の世界を形にするのが映画制作
そこで照屋は、紀里谷監督から「チャンスが来ること自体光栄に思わなければいけないし、絶対にやるべきだ」と言われ、「一度しかない人生だからやってみよう」と思い直し、引き受けることにしたんだそう。しかし、そこからは挫折の連続だったという。
「まず、脚本を書き始めたんですけど、それまでコントしか書いたことがなかったから、起承転結もないただのボケの羅列でしかない内容になり、読んでいても全然おもしろくなかった。そこから挫折の日々が始まったわけです。いざ撮影が始まると、今度はスタッフから『この人にはなにを着せますか?スカートは何色?ロング?それともミニ?』『どこからどういうレンズで撮りますか?』『照明はどれぐらい明るくしますか?』『このシーンでは音楽入れますか?』と、みんなからいろんな質問をされて…。追い詰められて、『いや、ほかの人に聞いてくれ!』と言いたくなったんですけど、僕に聞くのはあたりまえじゃないですか、監督なんだから。で、『やっぱりオレ、こんな仕事向いてないわ』って思いました」
スタッフやキャストからの質問に答えるのに、毎回時間がかかってしまい、そのせいでスケジュールもどんどん押して、現場は最悪な雰囲気になったという。「逃げだしたい、もうやめたい」と思いながらも、全部撮り終わらないといけないという責任感からくるプレッシャーで、「もうたぶん胃に何個か穴空いてんだろうな」と思いながら撮影を終えたという照屋。「引き受けなきゃよかった。でもこれで監督には向いてないってことがわかったからいい経験になった」と思っていたのだが、その後に待っていた編集作業で、彼は思いもよらない体験をすることになった。
「撮った映像を見て、『おー!きちんと撮れてる』『これとこれをつなぐと…あっ!物語ができてくる』『バラバラだったパズルのピースをつなげていくと、ひとつの画になっていく!』という感動を味わった時に、『…ヤバい。次も撮りたい』と思っている自分がいたんです。これがもう、“編集の魔物”という感じでした。そうして作品が完成して、お客さんに観てもらって、自分が笑ってほしいところでお客さんが笑ってくれているのを映画館の後ろから見た時に『頑張ってよかった。“頑張れば頑張るほど喜びも大きい”ってこのことか!』って思えたんです!」
そうして作り上げた1作目が好評だったため、さっそく2作目の制作に取りかかった照屋。しかし、2作目で急に素早い指示を出せるようになるわけもなく、またも前作と同じような目にあったという。「やっぱり引き受けなきゃよかった。もう2作目で終わりにしよう」って思って編集をやり始めたら『気持ちいい〜!何作でも撮りたい』ってなっちゃうんです(笑)」
その繰り返しで、「いま、13作目まできちゃいました」と笑顔を見せる照屋。
「結局、自分の頭の中で描いている理想の世界の『これだったら泣ける!』とか『これだったらハラハラドキドキする』っていう空想を脚本にして、それをスタッフに渡して、人を動かして、具現化して、編集でいままで現実に存在しなかった物語を生むっていうことができるから、やっぱり監督ってやめられないんだな、と思うんです」