YouTubeでの過去作配信も開始!“沖縄”を描き続ける照屋年之監督に映画制作の魅力やゴリエ復活について聞いた
死者の骨を洗う風習、“洗骨”を描いた短編作品がターニングポイントに
そんな映画制作の魅力に取り憑かれた照屋のターニングポイントとも言える作品が、前述した『洗骨』だ。なかなかヒットに恵まれず、短編映画を中心に制作を続けていた照屋は、ひょんなことから沖縄の離島・粟国島の“洗骨”という風習について知ることになる。洗骨とは、一度土葬や風葬などを行った数年後に死者の骨を海水や酒などで洗い、再度埋葬する葬制のこと。かつては沖縄全土で行われていたというこの風習が、粟国島にはいまも根強く残っていたのだ。
「正直なところ、怖いもの見たさもあって、おじいおばあに話を聞いたんですが、聞けば聞くほど最初はおどろおどろしいと思っていた“人の死体をミイラにして骨を洗う”ということが、実は亡くなった方に対しての感謝を感じさせる、とても愛に満ちた儀式なんだと感じたんです。そう思った瞬間、書き終えていた別の脚本を投げ捨てて、『改めて“洗骨”をテーマに脚本を書かせてください』とお願いして、一気に書き上げてできたのが『洗骨』の基となった短編映画『born、bone、墓音。』なんです」
その作品がショートショートフィルムフェスティバルのジャパン部門賞でグランプリを獲ったことがきっかけとなり、長編作品を監督するチャンスをモノにしたという照屋。「だから、『洗骨』はもちろんですけど、粟国島との出会いや、『洗骨』の前身である『born、bone、墓音。』の存在もとても大きかった」と本音を明かす。
『洗骨』で描かれた“あの世とこの世の境”とは
『洗骨』のロケ地で印象に残っている場所を尋ねると、「やっぱり島の人たちが“あの世とこの世の境”と呼んでいる場所ですね。本当に『こんなとこが!?』と思う場所なんですよ。なんてことのない、ただの細い道で。“あの世とこの世の境”って聞くと、急に薄暗くて、木が生い茂っていて…みたいな場所を想像しちゃいますけど、ただの道なんですよね。『ここから向こうがあの世です』って言われても実感が湧かないよう!みたいな」と笑う。
「しかもみんな、その道を平気で通っていくんですよ。普通に移動の道として、軽自動車でバンバンあの世に入っていって、簡単にこの世に帰ってくるんです(笑)。でも僕は、そういう島民の、生きるだとか死ぬだとかを身近に置いているからこそ重く感じていないような考え方がすごく好きなんです」
海外の映画祭で感じた「みんな一緒なんだ」ということ
沖縄で1年以上にわたる異例のロングラン上映を記録した本作だが、観客の反応はどんなものだったのだろうか。
「7、80歳くらいの、人生の先輩である方々がかなりの数観に来られていたんですけど、『本当にすてきな映画を撮ってくださってありがとう』と涙ぐみながら言って帰っていかれる方が多かったんですよね。それが僕にとっては本当に、噛みしめる喜びといいますか…」と、胸がいっぱいになったと述懐。
また、『洗骨』を海外の映画祭へ出品した経験を通して、改めて「みんな一緒なんだな」と感じたとも話す照屋。「結局描いているのは家族であったり、生きるとは、死ぬとは、ということだったりするので、別に東京だろうがモスクワだろうが中国だろうが、やっぱり感情は一緒なんですよね。モスクワ国際映画祭で、言葉や目や肌の色も違う方に『とてもよかった』って褒めてもらったり、上海やポーランドでも観客の反応がすごくよかったって聞いたり、ニューヨークのような最先端な場所でも観客賞をいただいたりすると、『みんな一緒なんだな』って。もう人種なんて分けなくてもいいのかな、みんな“地球人”でいいんじゃないかなっていう気持ちになれました」