篠原ゆき子がコロナ禍を懸命に生きる女性を熱演!撮影中に流した突然の涙の理由とは?
美咲のモデル、“生き方が器用じゃなかった”叔母への想い
そんな篠原にとって、美咲のモデルは自身の叔母だという。
「美咲はとにかく不器用なんですけど、実は私の亡くなった叔母がそういう人だったんです。姪の私ですら『なんでもっとうまく生きられないんだろう』って思っちゃうような人でした。でも、私はそんな叔母の人生を肯定したいなと思ったんです。生き方が上手ではなかったけど、一生懸命生きた人だったから。そして、いまもきっとどこかにいる、美咲や香織みたいな“生き方が器用じゃない”人たちにも、本作を通して『私と一緒だ』とか『わかるわかる』と救われるような気持ちになったり、ハタから見るとちょっとおもしろいかも、なんて思ってもらえたらうれしいです」
とはいえ「美咲は自分に近いところもあります (笑)。私も美咲のように人に弱みを見せるのが苦手だったんですけど、本作に出演したことで、少しそれができるようになったかなって思います」と話す篠原。きっかけは、毒親の美津子を演じた高畑淳子とのラストシーンだったという。
「私が気負いすぎたせいで、気持ちが動かなくなって撮影が止まってしまったんです。いつもだったら多分『一人でどうにかしなきゃ』と思うんですけど、ちょっと今回は無理だなと思って、高畑さんに『どうしたらいいと思いますか?』って助けを求めたんです。そうしたら、高畑さんがすごく救いになる言葉をかけてくださって。そこで初めて美咲と自分が本当に同化できた気がしました。自分と同じように、美咲も助けを求めることができたんじゃないかと思ったというか。『迷惑かな』とか、『カッコ悪い』と思いがちですが、こちらが助けを求めさえすれば、助けてくれる人は実はけっこう多い。すごくいい経験ができたなと思いました」
撮影中に突然の涙?その理由とは…
半身不随の母親、美津子役を鬼気迫る演技で魅せた高畑との共演は、篠原にとっても衝撃的だったという。「もともと、美津子は“ロレツが回らない”という設定ではなかったんですけど、本読みの時に高畑さんが『こういう話し方のほうがいいんじゃないか』って提案してくださったんです。本読みで初めてその口調でセリフを言われた時は、鳥肌が立って泣きそうになりました。撮影の時も圧倒的なパワーで演じられていて、とにかくすごかったですね」
撮影の終盤に行われたという高畑との共演シーンは、役に入り込み、追い詰められていたという篠原にとって、少し過酷な撮影となったようだ。
「もう、そのころには自分が自分なのか美咲なのかがわからなくなってきていたんです。ずっとホテルと撮影現場の行き来だけで、誰とも会わなかったし、感染対策もあったので食事も独りだったし…。それで相当追い込まれていたこともあって、高畑さんと(役柄の)美津子が私のなかでごっちゃになったのか、高畑さんが怖くて怖くてしょうがなくなってしまって。高畑さんとの撮影初日、段取りの内容を『これはこうなのよね?』って普通に話されただけなのに、怖くて泣きだしちゃったんです、私。めちゃくちゃ失礼ですよね(笑)」
圧倒的な“美しさ”が救いになることもあれば、束縛に感じられることも
役に没頭するあまり「ハゲたりもしました」と笑う篠原。確かに、男に裏切られ、唯一の親友も失って、おまけにコロナの影響で仕事まで失い…と、この世の不幸が一度にやってきたような美咲に同化することは、精神的にもかなりつらいことだったに違いない。しかし、そんな美咲が暮らしている場所は、まさに風光明媚としか言いようのない、美しい自然溢れる田舎町なのだ。このギャップが余計に生き様を浮き彫りにする。
例えば、養蜂場を営み、蜂蜜を作って多くの人に喜ばれるなど、一見自分らしい豊かに暮らしているように思える香織も、突然命を落としてしまう。しかし、「これでも必死に、蜜蜂(働き蜂)のように頑張ってきたんやで?」と自嘲交じりに話す香織の言葉には、ハッとさせられる人も多いのではないだろうか。
「田舎町って、“夕日がきれい”とか“空が青い”とか、そういうことに目を向けられたらいいですけど、逆にその美しさが“束縛”に感じられることもある。自然の美しさもそうですしサヘル・ローズさん演じる介護師マリアムの心の美しさが、救いになることもあれば、こちらが責められているような気持ちになるというか、時には圧倒的な“敵”に見えることもあるんじゃないかなって思います」
撮影中を振り返り、ぽつりと語った篠原。きっとそれは、彼女と同化していた美咲の気持ちでもあるのだろう。そんな彼女に、いまを生きる“女たち”にメッセージをもらった。
「踏んだり蹴ったりでも、なんとか一緒に生きていきましょう。楽しんでいきましょう!死ぬ間際に笑えたらいいですよね。『あんなドジしたな』とか(笑)」
取材・文/落合由希