吉田恵輔、問答無用の傑作『BLUE/ブルー』誕生。映画を撮り続ける上で最も大切な“才能”について【宇野維正の「映画のことは監督に訊け」】
宇野「それでいうと、東宝配給作品の『銀の匙 Silver Spoon』の時も――」
吉田「いや、あれはメジャー作品を1回やっておきたかったんです。それまで『俺はメジャーではやらないよ』って言ってたんですけど、『メジャーではやらないよ』って、メジャーをやったことがないやつが言ってても『やったこともないくせに言ってんじゃねえよ』ってことじゃないですか。だから1回やってみて、やった上で『俺はやらないよ』って言わないと説得力がないかなって」
宇野「それは、最初からそう思っていて引き受けたんですか?」
吉田「そうです(笑)。あの時は、『ばしゃ馬さんとビッグマウス』と『麦子さんと』と『銀の匙 Silver Spoon』の3本を1年間で撮ったんですよ」
宇野「あの頃は吉田監督がメジャーでもインディーズでも日本映画の未来を背負っていくんじゃないかと思ってましたよ」
吉田「いやいや(笑)。でも、1年で3本撮るんだったら、1本くらいそういう作品があってもいいじゃないかって思って。原作モノも初だし、メジャーでやるのも初だし。1本くらいそういうものもやっておかないと、ただいろんなオファーを漫然と断り続けるだけみたいになっていきそうだったんで。一回やっておけば、そこからはちゃんと断れる人になれるかなって」
宇野「あの頃はそんな裏事情は知らなかったので、今後こうやって次から次へとメジャーで撮っていく吉田監督というのをなんとなく想像していたんですよ。そういう並行世界みたいなものも、あったんじゃないかなと思うんですけど」
吉田「ないないない(笑)」
宇野「そうですか(苦笑)。いや、よくインディペンデントでいい作品を撮ってきた監督が、メジャーで撮ったらいきなりガタガタになるみたいなケースって結構あるじゃないですか。最初に言った『吉田作品はずっとおもしろい』っていうのは、もちろん『銀の匙 Silver Spoon』も含んでいて。そりゃあ、吉田作品のベスト5に入るかっていったら、そうではないかもしれないけど、それでもいい作品に仕上がっていたと思うんですよ」
吉田「頑張って、頑張って、自分が恥ずかしくないところまで落とし込めるようにいろいろ戦いましたけど、やっぱりメジャーのルールの中でやるのは大きなストレスでしたね。お金の問題じゃなくて、もうちょっと自由が効く状況でやらせてほしかったという後悔はあります。それでも、なんとか恥ずかしくないところには落とし込めたとは思ってますけど」
宇野「そこも含めて、やっぱり“まとめ力”が高いと思うんですよね。基本ウェルメイド感が身についているから、どんな環境でも大崩れはしないというか」
吉田「そうかもしれないです。今回の『BLUE/ブルー』も、わりと残酷な話と言えば残酷な話なんだけど、それでも後味は悪くしないように、一歩だけでも前進して終わるようにどうしてもしたくなっちゃう。観客として、やっぱそういう作品が観たいっていう想いが強いんでしょうね。『ヒメアノ〜ル』みたいなひどい話でさえ、最後の出口ではちょっとなにかを観客に残したいというのが自分のテーマというか、感覚としてあるんでしょうね。
だから、ホンを書く時点でどうしてもそういう構成になってきますよね。最後に飴玉が一個でもあると、そこまでは崩せるんですよ。どれだけひどいことになっても、許されるというか。その飴玉がないと、ただおもしろ半分で、いたずらに登場人物の人生を荒らすだけになっちゃう」
宇野「なるほど。『BLUE/ブルー』はおっしゃるように残酷な話でもあって、もちろんそこにはボクシングの経験がある吉田監督自身の見識がたっぷり入っていると思うんですけど、自分はどうしてもそこにアナロジーを見いだしてしまうんですね。つまり、これはボクシングだけじゃなくて、いろんなものに置き換えられる話だと。自分は、これは才能についての映画だと思ったんですね。具体的なシーンでいうと、例えば試合の後の居酒屋のシーン。あれは映画の撮影の後でも、演劇やバンドの公演の後でも、よく見る風景や出来事ですよね」
吉田「そうですね。敗者に対して、周りの人間がどういう理解を示すかっていうのは、本当に人それぞれだと思うんですよ。自分がボクシングやってる時も、あの居酒屋のシーンみたいなことって、本当によくあって。同じジムで、先輩は負けたのに勝った後輩がめっちゃはしゃいでて。先輩もへこんでるのはカッコ悪いから、ピエロみたいにおちゃらけてみたりとか。それに乗っかっちゃう空気を読めないやつもいれば、人知れずちゃんと気を遣ってるやつもいるという。俺はそんな様子をせつない想いで眺めてたりすることが多くて。勝者にはどんなことでも言えるんだけど、敗者にかける言葉って、ひと言も思いつかないなって思ったりしながら。その“敗者をどういう目線から見るか”という意識みたいなのものを、ちょっとでも美しく描けるといいなと思ったんですよね。勝負に負けた人に対して『これまでの努力は無駄だったんじゃないか?』で終わらせずに、なんの結果も残してなくても、流した汗や涙はきっと誰かが見てるんじゃないのか、という思いがあるので。負けた人たちへのプレゼントみたいな、そういう作品を作りたかったんです」
宇野「ボクシングなどのスポーツのいいところは、一応試合での勝ち負けがはっきりしていることですよね。一方、映画とか演劇とか音楽の世界になると――」
吉田「曖昧ですね」
宇野「そう。勝ってるのか負けてるのか、誰からも教えてもらえない。いま、吉田監督がおっしゃったことはその通りだと思うし、実際に自分も今作のそうした目線の優しさには強く心を動かされたんですけど。ただ、吉田監督は現在40代半ばで、映画監督として成功している。一方で、現実として夢に敗れて同じ業界を去っていった人をたくさん見てきたと思うんですね」
吉田「そうですね」
宇野「だから、もし今作をスポーツの映画としてではなく、カルチャーやアートの世界のアナロジーとして観たら、吉田監督の言ってることは綺麗ごとともとられかねないとも思うんですけど」
吉田「結果が見えづらい映画とか芸術の世界で、夢を諦めていく人については、『ばしゃ馬さんとビッグマウス』で一度描いたんで」
宇野「そうでした」
吉田「ボクシングっていうのは、肉体的にも、年齢的にも、はっきりと限界があって、いつかは辞めなくちゃいけないんですよ。そういう世界での負けっていうのは、やっぱり無駄かもしれないけど無駄だったとは言いたくない、せめてその姿を俺は美しいと思う。それは多分、綺麗ごとだとは思うんですよ。別にそれで飯が食えるわけでもないし。でも、『人生ってそういうもんじゃない?』って気もするというか。どれだけ成功しても、どれだけお金を稼いでも、なにを棺桶に入れて死んでいくかっていうことな気がするんですよね。俺は例え結果を残せなくても、そこで流した汗や涙みたいなものは、棺桶に入れる価値があるんじゃないかなって思うんで。人生全体で見たら、結局人って死ぬ時にはそういうものを持っていくんじゃないかな」
宇野「なるほど」
吉田「俺自身、もしいま死んだとしたら、自分の人生のピークは監督としてデビューできるかどうかの瀬戸際にいた時の、なにも先の見えない、何者でもなかった日々だったと思うし」
宇野「売れている芸人さんとかでも、そういうことを言う人はいますね」
吉田「そう。もちろん、そこから頑張ってきて、ある程度評価もされてきたし、本当に何者でもなかった時よりも、全然いまのほうがいいところにいるはずなんだけど。なんというか、この場所には風が吹いてないというような感覚があって」
宇野「それはやっぱり、いまがいいからそう思えるわけじゃないですか?」
吉田「もちろんもちろん。でも、俺はきっと多分死ぬ時には、監督デビュー前のあの日々を思い出すんですよ。人生って、その時のことを思い出すと胸がキュッとなるようなものを、いくつ持って行けるかって気がしていて。だから、きっと勝負に負けた、結果の出せなかった人たちも、死ぬ時にはその時のことを思い出して、胸がキュッとなると思うんですよね。だから、それには価値があるんだって」
宇野「でも、この映画でも描かれたように、そこには才能というファクターがあって。多くの場合、その世界に長くいればいるほど、才能があるかないかって明白に分かるじゃないですか」
吉田「うん。だから、そこについては結構これまでも残酷に描いてきたと思う。『ばしゃ馬さんとビッグマウス』もそうだったけど、結局、才能がない奴は勝てねえんだよってことは描き続けているから。自分自身、監督としてデビューする前の気持ちをいまでも強く引きずっていて、まだ負けてる気持ちが全然抜けてないんですよ」
宇野「ああ、そうか。そもそも自分もまだ『BLUE/ブルー』でいうところの青コーナーにいる感覚なんですね」