『スタンド・バイ・ミー』で一躍スターに…リヴァー・フェニックス、23年の刹那的な輝き
時代の寵児となりながらも、自由な創作を追い求めた俳優観
『スタンド・バイ・ミー』は日本の劇場でもヒットを飛ばし、フェニックスは新世代の人気アクターとなった。同作では短髪姿だったが、映画雑誌で長髪の美麗グラビアが載るたびに人気は上昇。宣伝のために来日し、「笑っていいとも!」などのテレビ番組に出演したことも日本のファンには大きなアピールとなる。以後、『モスキート・コースト』(86)でハリソン・フォードの息子を演じ、『インディ・ジョーンズ 最後の聖戦』(89)では彼の若き日を演じるなど、話題作に次々と出演して人気を高めていった。
しかし、フェニックス本人はセレブのように見られることを嫌っていた。ヒッピーの親を持ち、学校教育を受けることなく育った彼にとって、自由な創作こそが理想の俳優活動だったのだろう。
20歳になった後の彼は、自分の納得する作品に出演するようになり、派手なハリウッド大作よりも、心あるインディーズ作品に進んで出演。『マイ・プライベート・アイダホ』は、そんな彼の志向を象徴する作品となった。
若い姿のまま、永遠の存在となったリヴァー・フェニックス
1993年10月31日、ハリウッドにあるジョニー・デップ経営のクラブでフェニックスは命を落としてしまったが、生きていたらどんな俳優になっていただろう?それを考えるのは不毛とわかっていても、あのころの輝きを体感したファンは思いを馳せずにいられない。
クラブに同行していた弟ホアキン・フェニックスは『ジョーカー』(19)でアカデミー賞主演男優賞の栄冠を射止め、名実ともにハリウッドの頂点に立った。彼は2020年に誕生したジュニアに“リヴァー”と名付けたというが、そこにはどんな思いが込められていたのだろうか?映画ファンの想像は広がるばかりだ。
はっきりしているのは、フェニックスが若い姿のまま、我々の記憶に刻まれたこと。その昔、24歳で命を散らしたジェームズ・ディーンが青春映画の伝説となったように、フェニックスも永遠の存在となった。『スタンド・バイ・ミー』で演じたキャラクターは、そんなフェニックスの生涯を預言していたようにも思えるが、それを抜きにしても広く愛された名作であることに変わりはない。
リヴァー・フェニックスはこの映画のなかで、確かに生きているのだ。
文/有馬楽