「死とは?老いとは?」作家・冲方丁が『Arc アーク』で感じた“まったく新しい死生観”
人類の永遠の夢――「不老不死」をテーマに、史上初めて永遠の命を得た女性の人生を描く壮大なエンターテインメント作品『Arc アーク』(6月25日公開)。ネビュラ賞、ヒューゴー賞、世界幻想文学大賞の3冠を制覇する中国系アメリカ人作家ケン・リュウの短篇小説を、『愚行録』(17)、『蜜蜂と遠雷』(19)の石川慶監督が完全映画化。キャストには、17歳から100歳以上を生き抜くヒロイン、リナ役に芳根京子、その他、寺島しのぶ、岡田将生、倍賞千恵子、風吹ジュン、小林薫など実力派俳優陣が集結した。
かつてないスピードで変化を続けるこの時代において、死とは、老いとは、そして家族とはなんなのか?「マルドゥック」シリーズをはじめ、数多くのSF作品を発表している作家、冲方丁さんに、映画『Arc アーク』の感想や見どころ、「不老不死」というテーマについて語ってもらった。
本作の舞台は、そう遠くない未来。17歳で人生に自由を求め、生まれたばかりの息子を置いて、放浪生活を送っていたリナ(芳根京子)。やがて、師となるエマ(寺島しのぶ)と出会った彼女は、エマの下で、遺体を生きていた姿のまま保存する<ボディワークス>を作る仕事に就く。エマの弟・天音(岡田将生)は、この技術を発展させ、ついに「不老不死」の実現化に成功。リナはその「不老化処置」を受けた世界初の女性となり、30歳の身体のまま、永遠の人生を生きていくことになる。
――まず、映画をご覧になった感想はいかがでしたか?
「映画を観る前は、主人公の17歳から100歳以上という時間の経過をどう表現するのだろう?と思って、非常に興味があったのですが、大河ドラマというか、歴史物的な印象を受けましたね。一人の人間の歴史のスパンがとても長いので。あるテクノロジーが、最初はどういうふうに反発を受け、やがて社会に受け入れられ、そして新たな常識が生まれるのか…という流れがスムーズに描かれていました。
正直、先が読めなかったです。人物関係がどっちに動くのかが、非常にフラットに描かれていますので。主人公が前半こういう扱いをされているのだったら、後半はこうなるに違いないという、いわゆるエンタメ的な情動をいっさい示さない。ものすごく丁寧に描かれている作品なんですが、その点はわざと観客を甘やかさないというか(笑)。次になにが起こるか分からない不安や緊張感を保ったまま、ただ純粋に物語を味わえるように、余計な心の反発は与えないところがすばらしいと思いました」
――原作者であり、本作のエグゼクティブプロデューサーとして脚本の共同開発をしたケン・リュウは「自分はこの小説をディストピアとして書いていない」と語ったそうです。
「ケン・リュウさんらしいですよね。この映画も彼の短篇小説を発展させているので、いたるところに、いろんな問いが散りばめられていて、深く考えさせられる。若い時の無軌道さの受け皿であったり、死や家族というものをどう捉えるかという問題であったり…。あと重要なのは、若かったころの自分と、老いた自分とでは、その価値に差があるのか、ないのか、というところで、どちらも等しく価値がある人生だという力強いメッセージも感じました。現代を生きる人たちに必要なメッセージの“特盛”ですね(笑)。
ただし、不思議なくらい疲れないんですよ。死をテーマにしているので、もっとヒリヒリ、ズキズキするようなものを喰らうのかと思ったら、最後はすごく居心地のいい島で、おいしいものを食べながら、のんびり考えているような…いい気分にさせられました」
――映画の中で、特に印象に残っているシーンはありますか?
「樹脂による遺体保存、プラスティネーションのシーンがとても美しく描かれていて、死体を忌まわしいものとして見せていない。死体をいかに尊ぶか、というところをちゃんと描いている。例えば、エマのパートナーの遺体が、首や手など、断片的にしか残っていないんですね。ああいうのは、一見、猟奇殺人ものの作品などでありがちな画作りなんですけど、本作では忌まわしさをきれいに払拭して、故人をいまでも愛する証拠として飾られているという…。人体を陳列物のように扱うことに対する抵抗感をうまく排除していました。
プラスティネーションを施すラボの描写も、病院と工房と実験室みたいな雰囲気が非常にうまく融合していて。絶妙なバランスがすばらしかったですね。たいてい、解剖室というと、もっと無機質だったり、標本化されていったりしますから。かといって、工房感がありすぎても、人体で遊んでいるような不謹慎なイメージにもなりますし…。あのラボの光景は、ちょっともう一回観たいです(笑)」
――プラスティネーションが終わった後は、死体の各部位をたくさんのストリングスで引っ張って、最終的なポーズを決めていきます。もはや芸術の域にまで高められていた“死体のポージング”を、どう捉えましたか?
「生命の再現ですよね。故人の肉体の中に存在していたはずの、その人自身の意思、出来事、記憶、人格といったものを、いかにして肉体的に再現するか、という行為として僕は見ました。あのセットすごかったなあ。死体とこちらの生きている人間とが、無数のストリングスで物理的につながっている。操り人形的な形でもあるけれど、冷たさはまったく感じなくて。お互いに神経をからめ合って、肉体を共有するようなイメージがありました。あれはちょっと死体の扱い方としては、いままでにない画ですよね。
日本人にとって、最もショッキングなものの一つが死体だと思うんです。亡くなった後はすぐに焼いて、遺体を保存することもないですし。その死体が当たり前に映っていることが、この映画の導入として必須だったんだろうなと思います。あそこで死に対する忌まわしさが強調されてしまうと、その後に出てくる、永遠の命を選ばない、死を選択する人たちのニュアンスがまったく変わってしまいますからね。冒頭30分は、この物語を支える非常に重要な画作りだったと思います」
――前半では故人のプラスティネーションを希望する遺族たちの面談、後半では「不老化処置」を受けていない人々が施設に入る前の面談と、2パターンのインタビュー映像が本編中に何度も挿入されます。
「前半の面談シーンでは、遺族たちの切実な想いが語られることによって、プラスティネーションに対する観客側の混乱しがちな思考に筋道をつけてくれていると感じました。映画として、すばらしい角度で切り込んでいて、とても教育的でしたね。後半の面談シーンともうまく対をなしています。あれが作品のリアリティを底支えしていると思いました。インタビューで語られる内容も、ぜんぶアドリブなのかな、と思うくらい生々しかったですね。あの面談の台詞を考えた人はすごいな。まさにドキュメンタリータッチでした」
――主人公のリナを演じた芳根京子をはじめ、キャスト陣の演技はいかがでしたか?
「芳根京子さんは、序盤のボブヘアの時と、中盤のおだんごヘアの時と、終盤の島の介護施設で働いている時では、ほとんど別人みたいに次々と印象が変わっていって。毎回、さっきまでと同じ人だよな?って、何度見もしてしまいました(笑)。年代ごとに、いろんな顔が引き出されていて、ご本人の演技力と演出、両方の面ですごかったです。
エマ役の寺島しのぶさんは、役柄的に、どこにいようとも、すべて舞台の上!みたいな圧倒的な存在感がありましたね。エマの弟、天音役の岡田将生さんは、ものすごく自然な演技でした。老いを予期せぬ悲劇として描いても、醜く嫌なものとは感じさせないところが良かったです。老夫婦を演じた風吹ジュンさんと小林薫さんは、出てきた瞬間に、ヤバい、泣ける…と思ったんですが、その予感は的中しました(笑)」