映画作りで最も大切なこととは?宇野維正が称賛する、『映画大好きポンポさん』の勇気と攻めの姿勢
近年のハリウッド一大スキャンダルを想起させる描写も…
『映画大好きポンポさん』が初めてイラスト投稿サイトpixivに投稿されたのは2017年4月。ちょうどその頃、ニャリウッドならぬ本家ハリウッドでは、大物映画プロデューサー、ハーヴェイ・ワインスタインのセクハラ&パワハラ・スキャンダルが大事件となっていた。オーディションで新人女優が自己紹介をするやいなや「地味! 失格!」と声を荒げたり、自分の事務所で新人女優の顔や身体を直接触ったりするポンポさんには、一般的なイメージとしての敏腕映画プロデューサー像が投影されているのだろう。もちろん、ポンポさんがどこからどう見ても「小さな女の子」であるというコミック/アニメーション作品ならではの本作の設定はそうしたパワハラ的な振る舞いをすべて中和しているし、それこそが本作の肝であり妙であり趣であるわけだが、まさにそうした旧来の映画プロデューサー像が問い直されているタイミング(作品の発表時期的にそれが偶然であることは明らかだが)に本作の原作がスタートしていることは、指摘しないわけにはいかない。
大勢の女性たちの告発によって明らかになったワインスタインの長年の行ないは、彼のそれまでの映画界における功績をすべてなきものにされるのも当然の、あまりにも悪質なものであった。そこに異論を挟む余地はない。しかし、その後もピクサーの中心人物であったジョン・ラセター、あるいは最近ではコーエン兄弟やデヴィッド・フィンチャーやウェス・アンダーソンの数々の傑作を手掛けてきたスコット・ルーディン(彼への告発の一つは、まさに劇中でポンポさんとジーンの日常として描かれている、アシスタントに細かい指定をして飲み物を買いに行かせていたことだった)といったハリウッド屈指の名プロデューサーたちが、司法の判断に委ねられるまでもなくスタッフへのセクハラやパワハラが原因でハリウッドからの退場を強いられてきたことについては、それが時代の流れとはいえ、自分は複雑な思いを抱いてしまう。
そんなことも思い浮かべながら本作を観ていると(面倒くさい観客ですみません)、例えばポンポさんがジーンにクリエイターの心得として語る次のような台詞は、「創作活動」そのものについての古臭い考え方だと指摘したくもなってくる。
「満たされた人間というのは、ものの考え方が浅くなるの。幸福は創造の敵。(中略)現実から逃げた人間は、心のなかに自分だけの世界を作る。社会と切り離された精神世界の広さ、深さこそがクリエイターとしての潜在能力の大きさなの」
21世紀の映画界では、クリエイターを「社会と切り離された」存在としてスポイルすることが許されなくなった。その大きなきっかけとなったのは、これまで「エンタテインメント産業」の論理や「アート」の理屈で沈黙させられてきた者たちにも声と力を与えたネット社会だ。本作の終盤ではネット社会ならではの仕組みが物語の展開において大きな役割を果たすことになるだけに、本作で描かれている映画観、プロデューサー観、監督観を「古き良きハリウッド」への後ろめたさや甘美さを込めた郷愁ということで押し切るのも無理があるだろう。