巨匠はなぜハリウッドから干されたのか?「ウディ・アレン追放」著者・猿渡由紀が明かす、スキャンダルの裏側
「映画を観ながら監督の素顔が重なったとしても、作品の評価自体は変わらない」
本書が発売になる前の2月、アメリカではHBO Maxで「ウディ・アレン VS ミア・ファロー」というドキュメンタリーの配信が始まった(日本では現在、U-NEXTで配信中)。アレンによる養女ディランへの性的虐待の真相に迫るという触れ込みだが、こちらはかなりファロー側の主張に沿った内容になっている。猿渡氏が語るように、「#Me Too」の意識が強いハリウッドにおいて、「虐待された側」に賛同したくなる傾向があるのかもしれない。「ウディ・アレン追放」には、このドキュメンタリーの解釈も急遽、追加で書き加えられており、「できるだけ客観的」にという著者のスタンスが感じられる。また、アレンに対するスターたちの批判やボイコットでも、ティモシー・シャラメなどを例に複雑な側面があることに鋭く切り込んでいき、ハリウッドの「いまの空気」を伝えてくれる。
では、アレン本人の印象はどのようなものなのか。俳優として映画に登場する彼は、どこか自虐的で、基本的に恋愛には不器用なタイプの役が多い。だからこそ養女虐待事件とのギャップも感じてしまうのだが、新作の宣伝で来日することのないアレンに、ニューヨークの彼のオフィスで直接インタビューしたという貴重な経験もある猿渡氏は、一連の疑惑と、本人の素顔や才能についてこのように説明する。
「お金と権力を持つ男性、特にアレンの世代の多くは『自分は特別』という意識で、不適切な関係を武勇伝にする傾向もあるでしょう。アレンもその一人だという印象ですが、彼の場合、権力を手に入れる以前の、最初の結婚時代から不倫をしているし、もともと節操のない人だったのかも…。ただ17歳くらいでライターとして見出されたし、コメディアンの才能はやはり特別だったと思います」。
そうしたアレン、およびミア・ファローのキャリアもたどりつつ、アレンの名作として名高い『ハンナとその姉妹』(86)が、実はミアとの私生活が生々しく反映されていた事実など、これを読むとアレン作品の見方も変わる可能性もある。現在、日本で未公開の新作が1本あるが(2020年のサン・セバスチャン映画祭で上映された『Rifkin’s Festival』。一部の国では公開)、彼への評価、今後の監督業はどうなっていくのだろう。
「映画を観ながら、当時の裏話や監督の素顔が重なったとしても、作品の評価自体は変わらないと思うのです。今後の話で言えば、例えばロマン・ポランスキー監督は有罪(13歳の少女への性的暴行事件。アメリカには現在も入国できない)を認めているのに映画を作り続け、ヨーロッパではいまでも映画祭で賞を受賞し、上映されている。アメリカとの違いを考えさせられます。アレンの映画にお金を出す人がいるかどうか。彼は『自分が死ぬのは撮影現場だ』と言っているくらいなので、フラストレーションは高まっているでしょう」。
そのポランスキー監督の『ローズマリーの赤ちゃん』(68)で大ブレイクしたのがファローであり、そうした因果関係も含めて「映画の本」としても「ウディ・アレン追放」は必読。事件の真相はもちろん、ファローの14人もの子どもたちの切実な運命、家族が分裂する悲劇、そして映画の作り手と作品評価の関係など、読んだあとも様々な想いを巡らすことができる一冊となっている。現在85歳のアレンは、この状況で新作を完成することができるのか?映画ファンの多くが複雑な想いにかられるのは間違いない。
取材・文/斉藤 博昭