巨匠・富野由悠季の創作力とは?スタッフ対談で明かす、『G-レコ』&『閃光のハサウェイ』制作秘話
「『閃光のハサウェイ』と『G-レコ』を同時期に作って思ったのは、両方ともいまっぽくない作品」(脇)
――『閃光のハサウェイ』と『G-レコ』第3部が、近いタイミングで公開できたことについての感慨を改めてお聞かせください。
小形「富野さんがなにかしらの形で関わった作品で、(表現者として)これほどまでの“幅”を同時期に味わえることが驚きですよね。『閃光のハサウェイ』は富野さんが30年以上前に書いた小説で、あの頃の気分がすごく乗っている作品ではあるんですが、方法論はいまもあまり変わっていない。だけど、技術や見せ方はどんどん進化している。それが、30年以上を経て『G-レコ』という作品になった。(2本を観比べると)富野さんの演出的なテクニックが、『閃光のハサウェイ』を書いた頃から明らかに進化しているのを体験できるわけですからね。『閃光のハサウェイ』は、富野さんが映像作品ではなく小説として発表している作品なので情報量がそこまで多くないです。一方で、『G-レコ』は映像作品なので情報を極限まで入れることができている。それが豊かさにつながっているのだと思います。もうすぐ80歳になろうという人が、この方向に進化して行き着くという部分は、クリエイターとして尊敬しますね」
脇「『閃光のハサウェイ』と『G-レコ』を同時期に作って思ったのは、両方とも“いま”っぽくない作品だなということです。『閃光のハサウェイ』に関しては、映像的にもっと作り込んでクオリティを上げることができる余地のある作品だったと思いますが、村瀬さんはあえて『そこまではやらない』という感じでした。それが結果的に、最近の作品のように画面で全部説明してしまうのではなく、受け取る側に想像できる余地や考える隙が残ることにもつながったので、良いバランスだったと感じています」
脇「『G-レコ』はものすごく情報を詰め込んでいるけど、わかりやすい映像になっていて、『ここを見ればいい』というカメラワークや、しゃべるキャラクター、気にしてほしいキャラクターを順番にカメラが追ったりするような見せ方を徹底しています。個人的には本当は富野さんはそういうふうに作りたいわけではないんじゃないかって気もするのですが、その“わかりやすさ”すらも演出として映像にしちゃっているところが、最近の作品にはない、すごいところだと思いました。2作品とも、クリエイターの『こういうことをやりたい』ということを突き詰めている感じではなく、もっとアニメーションと人との関わりを気にした作り方をしていて、そこが個人的にはすごく良いなと感じましたし、関わることができて光栄だったと思っているポイントでもあります」
小形「そうですね。コロナ禍の事情などがあって、たまたま近いタイミングで2作品が公開となったわけですが、こういう機会にガンダム作品の持つ幅というのを見せられたのは良かったと思います。すべては最初の『機動戦士ガンダム』から始まったものであり、その器の大きさ、富野さんが最初に作ったフレームがいかに強いかというのをものすごく感じることができるわけですからね。やはり、『富野さんはすごい!』と思えるのではないかと」
脇「僕自身は、この2つの作品を同時期に観ることができるのは、単純におもしろいなと思いました。それぞれにある富野さんの“ガンダムワールド”みたいな部分をぜひ感じてほしいですね。本当に同じ原作者が作っているのか?と思うはずですし、監督が変わるだけでここまで見せ方も変わるのかと思えます。どちらの作品も観れば観るほど富野さんっぽさが出てくる不思議な作品で、この奇遇な組み合わせはなかなかないはずです。ぜひ両方の作品を劇場で楽しんでください!」
取材・文/石井誠
※脇顕太朗の「顕」は、日+幺+幺+灬+頁が正式表記。