マイケル・ジャクソンのムーンウォークの原点に?『沈黙のレジスタンス』として生きた伝説のパントマイマーとは?

コラム

マイケル・ジャクソンのムーンウォークの原点に?『沈黙のレジスタンス』として生きた伝説のパントマイマーとは?

パントマイム・アーティストとして世界的な名声を獲得し、エンターテインメント史に類まれなる足跡を刻むマルセル・マルソー。『沈黙のレジスタンス~ユダヤ孤児を救った芸術家~』(公開中)は、彼が若かりし頃、第二次世界大戦中にナチと協力関係にあったフランス政権に立ち向かうべく、レジスタンス運動に身を投じていた時の実体験を描く感動作だ。いまなお“パントマイムの神様”という称号を守り続けているマルセルの経歴と、彼がパントマイムの道へ進むきっかけともなった、知られざるレジスタンス活動の真実を紹介したい。

“パントマイムの神様”と称されるマルセル・マルソーがユダヤ人孤児のために闘った歴史を描く『沈黙のレジスタンス~ユダヤ孤児を救った芸術家~』
“パントマイムの神様”と称されるマルセル・マルソーがユダヤ人孤児のために闘った歴史を描く『沈黙のレジスタンス~ユダヤ孤児を救った芸術家~』[c]2019 Resistance Pictures Limited.

現代のパントマイムの礎を築いたマルセル・マルソー

1923年、フランスのストラスブールでユダヤ人の両親の間に生まれたマルソーは、幼い頃からチャーリー・チャップリンやバスター・キートンといった無声映画のスターに夢中になり、10歳の時には仲間を集めて、路上でパントマイムごっこをして遊んでいたという。俳優を目指すものの、戦争のために演劇学校に通うことができなかった彼は、1942年、19歳の時に従兄弟がリーダーを務める組織のレジスタンス活動に参加。終戦後、パリのサラ・ベルナール劇場の中のシャルル・デュランの演劇学校に入門し、演劇の一フォルムとしてパントマイムを学んだ。

1947年にマルソーが創りだしたオリジナルのキャラクターで、のちに世界中のパントマイムの典型的なイメージの原型となったのが、白塗りのメイクにボーダーシャツ、花のついたシルクハット姿の道化師“ビップ”だ。言葉をひと言も発せず、身ぶりと表情だけですべてを表現するマルソーの舞台は、国境を越え、行く先々で熱狂的に愛され、彼は自身の分身ともいえるビップとともに世界各地で公演を続けた。日本でも1955年と1965年の2度、ツアー公演をおこなっている。

世界的なパントマイム・アーティストで、2度の来日ツアーの経験もあるマルセル・マルソー
世界的なパントマイム・アーティストで、2度の来日ツアーの経験もあるマルセル・マルソー写真:EVERETT/アフロ


舞台だけでなく映像作品にも出演!マイケル・ジャクソンに与えた影響も

映像作品では、1973年にBBCの「クリスマス・キャロル」のスクルージ役、ジェーン・フォンダ主演の映画『バーバレラ』(67)のピング教授役のほか、メル・ブルックス監督の『サイレント・ムービー』(76)、クラウス・キンスキー監督の『パガニーニ』(89)などに出演。また、本作の劇中でも大きなキャンバスに向かって絵を描いているシーンがあるように、子ども向けの絵本も出版するなど多才な人物だった。

『サイレント・ムービー』に出演するマルソー
『サイレント・ムービー』に出演するマルソー写真:EVERETT/アフロ

1978年にはパリ市マルセル・マルソー国際マイム学院を設立して、後進の育成にも力を注ぎ、2007年に84歳で亡くなるまで、世界中の俳優やミュージシャン、ダンサーたちに大きな影響を与え続けた。なかでも、マイケル・ジャクソンが観る者を驚愕させた“ムーンウォーク”は、マルソーの「風に向かって歩く」という、風に逆らうようなステップからヒントを得たというエピソードは有名だ。ジャクソンは13~14歳の頃、マルソーの舞台をよく観ていて、1995年のジャクソンのコンサートでは共演する企画があった(リハーサル中にジャクソンが倒れてしまい、実現せず)ほど、互いに尊敬し合っていたという。

マイケル・ジャクソンの“ムーンウォーク”の動きのもとになったとも言われている
マイケル・ジャクソンの“ムーンウォーク”の動きのもとになったとも言われている写真:EVERETT/アフロ

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