スナフキンは作者の恋人だった!?『TOVE/トーベ』で知る、“実在”するムーミン谷の仲間たち
ヨーロッパや北欧、アフリカ大陸などで制作された映画は、ハリウッド大作に比べると、大勢の観客に観られる機会に恵まれているとはいえない。しかし、そのなかには評価の高い優れた作品も多く、その国ならではの歴史や文化を知れば、もっと映画を楽しめるようになる。世界各国の良作映画をピックアップする本企画で今回取り上げるのは、1940~50年代、フィンランドの首都ヘルシンキを舞台に、ムーミンの生みの親、トーベ・ヤンソンの人生を描く『TOVE/トーベ』(10月1日公開)だ。
国境を越え、世界中で愛され続けているムーミンの物語。本作はその作者、トーベ・ヤンソンの初の伝記映画となり、30代から40代前半までを中心に、アーティストとしてのトーベの生き方と、彼女の人生を変えた情熱的な恋愛を描いていく。
フィンランド人でありながらスウェーデン語を使用?フィンランドの言語事情
まず、トーベの世界に踏み込むには、彼女の育った環境について知っておきたい。本作は、トーベの母語であるスウェーデン語で撮影されたフィンランド映画として、史上最高のオープニング成績を記録した作品。そもそもフィンランド国民のトーベはなぜスウェーデン語を使用していたのだろう?
トーベは第一次世界大戦が勃発した1914年にヘルシンキで生まれたが、スウェーデン語を母語として育った。実はフィンランドでは建国以来、フィンランド語とスウェーデン語を対等な公共語と定めていたものの、スウェーデン語系は国民全体の1割未満にすぎない。言語少数派として育ったことは、トーベの思想に多大な影響を与え、ムーミンの物語をはじめ小説もすべてスウェーデン語で書かれている。
トーベにとって、ともにフィンランド芸術史に名を残した両親、彫刻家の父ヴィクトル・ヤンソンと、挿絵画家の母シグネ・ハンマルステン=ヤンソンの存在は大きかった。広いアトリエで、それぞれの仕事に精を出す両親の姿を見て育った彼女が、芸術家を志したのは自然のなりゆきだったのだろう。ちなみに、ロベルト・エンケル演じる父ヴィクトルが彫刻を制作する劇中のアトリエのシーンは、写真に残されている実際のアトリエの様子が細部まで忠実に再現されている注目ポイントだ。
トーベ自身も14歳で挿絵画家としてデビュー。ストックホルムやパリ、ヘルシンキの芸術学校で学び、様々な仕事でその才能を発揮しながらも、自分の本業はあくまでも画家であると自負していたトーベ。そんな彼女が戦争のさなか、画業にいきづまりを感じ、一種の現実逃避の手段として書き始めたのが「ムーミントロール」だった。