『ムーンライト・シャドウ』吉本ばななと小松菜奈が語る、失恋のせつなさと哀しみの“色”
「ばななさんの世界観と、エドモンド監督の描きたかったものが共存したというか、ピタッとはまった感じがした」(小松)
小松「この映画はさつきだけでなく、さつきの周りも個性があるキャラクターばかり。等の弟の柊も、その恋人のゆみこも、後に出会う麗もそう。それぞれに個性があると、演技の表現として自分がどこにいっていいのかよくわからなくなる。それがすごく怖いなと思っていました。物語の中心に誰かがいないと、観客に『なにを伝えたいんだろう?』と思われるという危険性もあったし。伝えるべきところは伝えたいと思ったので。ある場面では、ト書きには書いてないんですけど、感情を出したいなって思って、エドモンド監督に相談せずに一度やってみたりしました。違ったら違う方向で考えようって。なんにでも対応できるようにしておこう、とは思いました」
――さつきは、枠から自由奔放に飛び出ている人ですよね。
小松「この物語は、大切な人を失った人のその後をどう描くかという話だったので、衣装合わせの時、私はもっと暗いさつきだと思っていたんです。洋服の色使いもモノトーンで、地味なのかなと思っていたら、すごくポップなものが集められていてびっくりしました。エドモンド監督は髪にも青色を入れたいとか、まつげを青くしたいとか、私が想像していたのと180度違うさつきだったので、新鮮で。固定概念を崩してくださったところもあって、さつきの部屋も、もっとポップに、もっとクレイジーにしたいと美術さんに推していた。
その時は『なんでこんなにクレイジーなんだろう?ポップなんだろう?』と思ったんですが、完成品を観た時にすごく納得できたんです。内容の重さと、視覚としての明るさがいいバランスだったんです。登場人物たちは、言葉は少ないけれど、視覚的なポップさが救いになっていて。こういう描き方ってなかなかないなって感じました。ばななさんの世界観と、エドモンド監督の描きたかったものが共存したというか、ピタッとはまった感じがしたので。そういう描き方をイメージしてたんだな、と思うと、すごくおもしろかったです」
吉本「この作品は、テーマが先にある感じで書いたものです。ちょっと変わった女の子がちょっと変わった人たちと知り合って、完全な世界が出来たけど、崩れちゃうっていう話。さつきはたぶん、学校に行ってもすごく友達が多いわけではなさそうだし、変わったことが次々起こる、そういう人たちなんだろうなというのはありましたね。仲間はずれが寄せ集まってグループを作ったら、すごく仲良くなっちゃった、みたいなことなのかなと思います。“消し去る”ということに関して言うと、若い時の失恋って強烈だから。世の中がぜーんぶグレーになっちゃう!みたいな感じを出そうとしたのは、よく覚えています」
――さつきは宮沢さん演じる等を、佐藤緋美さん演じる柊は恋人のゆみこ(中原ナナ)を同時期に失い、さつきと柊は2人にしかわからない欠落感を抱えて世界に取り残されます。お2人から見て、まだ映画出演が3作目の佐藤さんはどうでしたか。
吉本「すごいなあ、よく頑張ったなと思います」
小松「緋美くんはセーラー服を着ていても違和感がないなとキャスティングを聞いた時にすごく納得できました。言葉で『私』と言うのも、すごくナチュラルに見せる力をもともと持っている。彼が持っているピュアさと、柊っていう役柄とが合っていて、緋美くんが柊そのものっていう感じがすごくして一緒にお芝居をしていても、心の動く瞬間がたくさんありました。言葉にはしないけど、最愛の人を2人失っている悲しみみたいなものが、せつない表情とか、近くで演じている時に私にすごく刺さりました。完成した作品を観る時も、緋美くんがどういうふうにほかのシーンを演じているのかも楽しみだったし、個人的にもすごく気になっていたので。現場で、『ここ、よかったなあ』って思うところがあって、そこが使われることはなかったんですけど…」
――カットされちゃったんですね。
小松「ええ。でも、それを感じられただけでもよかったです。そういう柊もいたんだって思えて。そこからまた、柊といる時のさつきっていうのを改めて考えるきっかけになりました。柊がどこに悲しみを見せるのかなってすごく気になっていて、緋美くんには聞きたいことがたくさんあるので、時間があったらちゃんと聞きたいな、と思ってます」
――宮沢さんが演じた等は、橋での別れの残像が、作品をずっと支配します。
吉本「あの橋での去って行き方、この物語を支えた人だったんだな、という感じがしました。上手でしたよね」
小松「等って言葉も少ないし、さつきもなにを考えてるのかなって思っていたと思うので、引き止めたいけど引き止められないみたいな部分もあって。キスシーンも、ハグをしてキスをするのか、手を持ってキスをするのか、いろいろ選択肢はあったんですけど、私は絶対にさつきからいくのが正解だと思っていて。あの橋の上での場面、監督には『ここで撮りたい』という風景があり、でも、途中でカメラを移動したいという希望もあった。でも、そうすると演じる上での感情が結びつかなくて、監督の場所にこだわって画(え)を撮りたいという意思に重きをおきつつ、氷魚君と私は自分たちの感情を探る作業を重ねて、点と点を結ぶ作業を3人でしました。一つ一つの行動に意味があると思ったので、私たちも慎重に進めました。
あんなに何気ない瞬間も一緒にいて、劇中で描かれていない部分で一緒にいる時間もたくさんあったけど、さつきは結局、等のことはなにもわかってなかった。結局は他人同士なんだ、と思わされるような切なさも演じながら感じました。等をわかったつもりだけど完全にわかりきれないし、他人も自分のことをわかっていない、そういった脚本上、文章としては記されていなかった、認知のズレの部分を『こうであっただろう』という私自身の想像とのすり合わせをしていきました。氷魚くんは等にすごく合っていたなというか。瞳と、持っている雰囲気とか。実際に長男ということもあって、柊を弟に持つ長男らしさも出ていた。明日には消えちゃいそう、明日会えないかもっていうようなものを、自然と漂わせてる感じもありましたね」
――吉本先生に聞きたいんですが、エドモンド・ヨウ監督はラストのニュアンスを原作と変えているように感じましたが、どうご覧になりましたか?
吉本「わりとストレートに描いていませんでしたか?小説ではぼやかしていた部分を、『ああ、映像だと本当に会うんだな』って思っていたぐらい(笑)。全然いいんです、会ってほしかったから。監督がめちゃくちゃ編集で内容を変えたので、結果、良かったんじゃないかな。日本のなんてことない街角が、ものすごく海外みたいに見える」
小松「どこなんだろう?って思いますよね」
吉本「それは海外から日本に来た人にしか見えない映像だから、すごく印象に残りましたね」
取材・文/金原由佳