藤井道人監督×横浜流星、互いに寄せる全幅の信頼「藤井組に『帰ってくる』感覚がある」
「映画というものを通じて、背中を押すことができるはず」(藤井)
――そんな2人が、今回は10分の短編映画に挑みました。北海道、沖縄、京都、東京を3日間で横断して撮影を敢行。挑戦尽くしの作品でしたね。
藤井「提案した時、プロデューサーに『なに言ってるの?』と言われましたね(笑)。でも、僕はどうしても各地で撮りたかった。ここ数年、行きたいところに行けない、会いたい人に会えない、つらい日常を送っている方ってすごくたくさんいると思うんです。そんな方々に、『あの場所はまだあるよ』『そこにも人は住んでいるよ』と伝えたかった。
孤独だと思うと人は卑屈になってしまうけど、映画というものを通じて、背中を押すことはできるはず。だから、今回は日常を肯定する作品を作りたいと思いました。そこで、一人の男性の夢のなかの話にしたんです。夢のなかにも昼夜は存在して、色もあって、ただ、現実にはないものもたくさんある。そのなかで彼は旅をして、夢から覚めたら日常が始まる。流星が演じる“男”を通して、その過程を描きたいと思いました」
――「北海道、沖縄、京都など」という一文を脚本で読んだ時は非常にチャレンジングだなと感じましたが、そうした想いがあったのですね。
藤井「はい。同時に、それができたのはこの企画と、流星だったからだと思っています。僕は俳優部に脚本を通して自分の考えを託すので、『監督の言っていることがまったく分かりません』という俳優に預けちゃったら、そのラブレターは意味の違うものになってしまう。その点、今回はなんの心配もいりませんでした。『名もなき一篇・アンナ』はほぼ流星に当て書きで、決定稿を渡せたのが撮影の10日前くらい。それでも実現できましたから」
――撮影にあたって、横浜さんからアイデアを出されたりはしたのでしょうか。
横浜「いえ、フラットに現場に入りました。その場で感じたことをやって、藤井さんが調整してくれました。藤井さんは人間の感情を繊細に撮ってくれるので、『こうしよう』と決め込んでいくとバレるんです。ロン・モンロウさんとの芝居上のコミュニケーションは日本語と中国語だったので大変でしたが、とにかく感覚を研ぎ澄ませて、ちょっとした声色の変化を意識し、その場所でその空気感で流れゆくままに、感情をしっかり受け止めて返せるように意識していました」
藤井「最初はわからなかったけど、撮っているうちに感じ取れるようになってくるよね。すごく勉強になりました」
横浜「確かに。最初の本読みで『日本語と中国で合わせてみよう』となった時は、『どうしよう』と思いましたが、不思議とわかるようになってきました」
藤井「言葉の不確かさを実験してみたかったんですよね。僕たちは果たしてどこまでちゃんと言葉を聞いていて、届くものなのか。言葉を超えたものが、感情としてあるのか?日本語と中国語での会話は基本的にはあり得ないけど、そこを飛び越えたなにかを見たかったんです。今回、僕らのチームは“成長への気づき”というテーマがあり、自分自身がアジアに出たい、世界と戦いたいという意志表示も込めました」
「『一緒に人生かけてください』と言えるものを、許される限り作り続けたい」(藤井)
――衣装もすごく素敵でした。個人的に、観たかった横浜流星さんに出会えた気持ちです。
藤井「流星は衣装合わせでも結構わかりやすくて、気に入ったやつがあると『おっ』って言うんです。そうじゃない時は無反応(笑)。今回は、結構喜んでいました」
横浜「気づかなかった…(笑)。そんな癖があるのか…」
藤井「今回は綺麗めのカッコいい流星じゃない、もっと人間くさいところを見せたいとは思っていましたね。そういう話をしたら、流星が自らひげを生やしてくれました。すごく助けられましたね」
――多忙を極めるお2人ですが、横浜さんのお話にあったように「妥協しない、さらに上を目指す」姿勢がすばらしい。苦しいなかでも頑張ることができるのは、なぜなのでしょう?
藤井「僕は単純に、それしかできないんです。あとはやっぱり、後悔したくない。みんなに良い顔をして50%くらいのものを作っても、自分のなかには絶対後悔が残るじゃないですか。それに、俳優部に説明がつかないと思うんです。『一緒に人生かけてください』と言えるものを、許される限り作り続けたいです」
――それこそ「3日間でこの距離を移動して撮影する」というのも、ご自身に課すハードルですよね。
藤井「いま、僕と流星で10分間の映画を撮るとなったら、いま取材をしている部屋で撮ってもそこそこのものを作ることができるかとは思います。でも、12人の監督が参加するなか、僕たちは藤井組で培ってきた100%をどう出せるか考えた時に、絶対に無理なものをやろうと決めました。大学1年生の時から一緒にやっているプロデューサーは困り果てていたし、ロケ地先の空港の乗り換えでみんなで走ったりしましたが(笑)、そういった努力は、映像に映り込むと信じています。常に限界を超えたいという気持ちはありますね」
取材・文/SYO