生まれ変わった問題作『アレックス』を鬼才、ギャスパー・ノエが語る!「『STRAIGHT CUT』の方が観客の心に与えるダメージは大きい…」
「『STRAIGHT CUT』では全員が敗者で終わるという虚しさがクリアに表現されている」
「きっかけはいまから約2年前、製作会社のスタジオカナルから『アレックス』のデジタル化を勧められました。それが完成したのがちょうど中編『ルクス・エテルナ 永遠の光』の編集作業中で、たまたま編集スタジオが空いた夜中に『時間軸を正しく直した「アレックス」ってどんな感じかな?』とふと思ったんです」
『STRAIGHT CUT』が生まれた理由について、本作の製作自体が目的ではなく、まったくの好奇心だったと振り返るノエ。しかし、出来上がった映像を観た彼は、驚きと衝撃に包まれたという。
「いざ映像を繋いでみたら、オリジナル版に比べてより悲劇的で暴力的な印象を受けて、『これは別の映画になったぞ!劇場公開するべきだ!』と思いました。オリジナル版はラストの解釈も含めて実験的な作品でした。その点『STRAIGHT CUT』はわかりやすく、かつ表現や感情も直接的になり、それぞれのキャラクターのポジションが変化しています。しかも悲劇が起きる前の明るく温かみのある時間で終わるオリジナル版とは違い、『STRAIGHT CUT』では全員が敗者で終わるという虚しさがクリアに表現されている。ストーリーは同じなのにここまで変化するのか!?と私自身心底ビックリしました」
「わかりやすい」という言葉が示す通り、本作ではアレックスやマルキュスたちに起こる出来事やその悲惨さ、誤りすらも理解しやすくなった。たとえば、ピエールが殺害してしまう男性は、テニアではなくその隣にいた別の人物。しかし、レクタムの店内が薄暗いことや殺された男性の顔面が消火器で破壊されてしまうこと、そもそもこの時点でなにが起こっているのかがわからないため、オリジナル版ではこの殺された男がテニアだと誤解した観客がいたそうだ。
また、オリジナル版のラストシーンにあった公園の芝生で幸せそうに寝転がっているアレックスの姿を“事件後”だと解釈し、ハッピーエンドとして受け止めようとした人もいたという。この解釈自体を間違いだと言い切ることはできないが、少なくとも『STRAIGHT CUT』を観る限りでは、このシーンは“事件前”と捉えるのが自然だろう。このように、正しい時系列になったことで、観客は劇中の出来事から目を逸らすことができず、より強烈になった不条理さ、悲惨さと向き合うことになる。
「たしかに、『STRAIGHT CUT』になったことで、(ピエールが)復讐を果たした相手が別人だったことがはっきりとわかりますよね。それに、本作では延々と悲劇が描かれていますが、そのなかでも最高潮に悲劇的な場面で物語が幕を閉じる構成になっているので、私が描きたかったことを明確に受け取っていただけるようになったのでは?と考えています」
「アレックスが物語の起点になったことで、観客が感情移入しやすいキャラクターになりました」
「キャラクターのポジションが変化した」という視点も興味深い。特に、アレックスは本作における中核を担う人物だが、オリジナル版では中盤から登場するため、幸福から絶望へと突き落とされる彼女の心情の変化を読み解くのは難しくなっていたと言えるだろう。
「『STRAIGHT CUT』でのアレックスは最初から登場し、マルキュスとの関係も良好だったにもかかわらず、パーティで彼と口論になり、怒って一人で薄暗いトンネルを歩いていたところを襲われてしまう…。彼女が物語の起点になったことで、観客が感情移入しやすいキャラクターになりました」
アレックスのポジションが変化したことについて、ノエは以下のようにも分析している。「レイプシーンの配置自体は、オリジナル版も『STRAIGHT CUT』も変わらないのですが、ストーリーの前後が入れ替わったことでアレックスへの感情移入の仕方が変わってきます。彼女をより身近に感じている最中に、トンネル内での惨劇が訪れるからです。行為自体は同じはずなのに、『STRAIGHT CUT』の方が観客の心に与えるダメージは大きく、よりドラマチックになったと言えるでしょう」
一方、マルキュスにはどのような変化が起きたと考えているのだろうか?
「オリジナル版のマルキュスはどこかヒーロー的な存在に映っていました。しかし、『STRAIGHT CUT』で彼の心理的変化がよく読み取れるようになっただけに、そのバカさ加減や性格の嫌な部分がはっきりしています。パーティでコカインをやったり、別の女の子にキスをしたりね」
救急車に乗せられるアレックスの姿にショックを受けたマルキュスは、声をかけてきた強面の男性の「犯人を見つけてやる。復讐は人間の権利だ」という言葉にかき立てられ、制止するピエールの声も聞かずにテニアを捜して街中をかけ回る。本来ならアレックスの側にいるべき彼が暴走してしまう姿は、誤った“男らしさ”の弱さ、愚かさを感じさせる。
「まったく同じ映像素材なのに、時系列を変えただけで、それぞれの人物像、観客が受ける印象に違いがある。本作では特にそういうところを見てほしいです」