西島秀俊×アピチャッポン・ウィーラセタクンが熱く語り合う!「私たちには生きる証として映画が必要」
「映画には“聖なるもの”と感じるマジックがある」(ウィーラセタクン)
西島「『MEMORIA メモリア』を観た時に、今回もアピチャッポン監督の映画に神聖さというか、“聖なるもの”を感じました。個人的には最近そういうものを感じられる映画は少なくなっているように思えていて、そういう映画を作る監督も少なくなった。例えばペドロ・コスタ監督のように、デジタルになっても感じさせてくれる人はいますが、なにが変わっていったのだろうかと考えてしまいます。そういうのを考えたことありませんか?」
ウィーラセタクン「無意識的に考えることがあるかもしれません。映画づくりというのは人を作るわけです。観ている側がその人を意識したり、その人の空間や時間を意識することができるように我々は作りあげていく。全員が全員そういう雰囲気の映画を作ることができるわけではないですが、映画にはそういった聖なるものと感じるマジックがあるものです。ところで『ドライブ・マイ・カー』は日本ではどのように受け入れられているのでしょうか?」
西島「どうなんですかね。観に行ったという方からはすばらしかったと言っていただけるのですが、僕が出ているから本当のところは。濱口監督の映画はこれまで密接な関係の人たちが議論してぶつかって、ギリギリ救いのある話が多かったですが、今回は年齢も性別もまったくかけ離れた2人が心を通わせていく。自分と遠い人同士で繋がって、お互いを癒して次のステップに進めていく。そういったところが、もしかしたら皆さんコロナで感じたように、近くにいる人だけはない遠い人たちに思いを馳せることと繋がっていたのかなとも思っています。そういえば、『フィバー・ルーム』はまた日本でやらないんですかね?」
ウィーラセタクン「いまのところ予定はないですが、できたらいいですよね。でもまだ詳しくは言えませんが、来年末にも新作の計画があるんです」
西島「あれは本当にすごかったです。凄まじい体験型のアートで、ディズニーランドに置くべきだと思っています」
ウィーラセタクン「ありがとうございます(笑)」
取材・文/久保田 和馬