小松菜奈と坂口健太郎が『余命10年』で考えた、愛する人に出会える奇跡
「『生きるとは?』というテーマを再定義された気がします」(小松)
――リリー・フランキーさん演じる梶原店長が、和人に言う「愛する人に出会えるなんて奇跡のようなものだ」という台詞が心に響きましたが、あのシーンはいかがでしたか?
坂口「実は、ずっと台詞が決まらなかったシーンでした。菜奈ちゃんと一緒に和人と茉莉の時間を重ねていくなかで、藤井監督から『和人はどういうふうに言われたら、一番救われるんだろう?』と言われて、ずっと話し合ってきました。それで、確か撮影前日に『坂口くん、この台詞にしようと思う』と言われたんです。やはり1年を通した撮影により少しずつ輪郭が見えてきて、結果的にあの台詞になりました」
小松「また、リリーさんが言うからさらにすてきでしたし、その台詞を受けた坂口くんの表情もすごくよくて、完成した映像を観た時にグッときました」
――和人の少し不器用な感じがにじみ出ていてジンときましたね。
坂口「藤井監督から『つなげてみた時に、一番いい表情をチョイスしたいから』と言われ、何パターンも撮ったんです。和人の心のなかで、茉莉と一緒だった美しい光景を思い出したら、こんなに奇跡のような出会いができた自分は、なんて幸せなんだろうと思った気がします」
小松「そうだったんだ!」
――小松さんは、“奇跡の出会い”をどう捉えましたか?
小松「なんでしょう。運命というものがあるのかわからないですが、この人のこういう部分が好きだというようなことって、明確じゃない気がしていて。一緒にいて居心地がいいなとか、こういう趣味が合うなとか、たぶんそういうことなのかなと思っています。監督も同じように思われていたようで、なにか明確なきっかけがあって、和人が茉莉のことを好きになったのではなく、自然な流れでそうなったのがリアルだなと思いました」
――確かに、2人のやりとりは、地に足がついている感じがしました。
小松「もちろん、楽しいことだけじゃなくて苦しみもあるし、決してきれいごとだけじゃない世界がちゃんと描かれているから、観る人も映画の世界観に入っていけるんじゃないかな、と。どの登場人物の気持ちもすごくわかるし、私はそれぞれに感情移入ができました」
坂口「僕もそうです。茉莉と和人に感情移入をする方はもちろんいると思うけど、自分が親だとしたら父親(松重豊)や母親(原日出子)の気持ちもわかるだろうし、茉莉たちの友人であるタケル(山田裕貴)や沙苗ちゃん(奈緒)に感情をもっていかれる人もいるだろうし、いろんな人に感情を乗せられるような作品だと思います」
小松「映画のタイトルで“余命”という言葉を聞くと、ほとんどの人が最後を気にしてしまうし、『どうせ亡くなっちゃうんでしょ?』とどうしても考えてしまうと思うんです。私自身も以前は、そういう悲しそうな物語に対して苦手意識がありました。でもそうじゃなくて、1人1人の人間がちゃんと生きる生命力というか、『生きるとは?』という定義を再認識できた気がします」
――特にコロナ禍のいま観るからこそ、違う響き方がしますね。
小松「ベタかもしれませんが、いまの状況の大変さや、周りに話を聞いてくれる人がいてくれることのありがたさを、改めて考えることってなかなかないと思うんです。でもこの映画を観ると、そういう存在の大切さや尊さが、スッと入ってくる気がします。こういった状況下のなかで、この映画が誰かの救いになってくれたらいいなと願っています」
取材・文/山崎伸子