【レビュー】中二病の神は大人になった。さて君はどうだ、と『マトリックス レザレクションズ』は問う
黒づくめの衣装にロングコートとサングラス。重力無視のワイヤー・アクション&バレットタイム。実はこの世界は仮想空間=マトリックスであり、現実は機械が人類を支配するディストピア、そして冴えない自分は人類の救世主!1999年にラリー&アンディ・ウォシャウスキー兄弟が世に放った『マトリックス』は、世界観もビジュアルもテーマも、なにもかもが斬新で深淵でクール。当時の中二病たちを大いに熱狂させ、映画史に革新をもたらした。
その続編、しかも第3作『レボリューションズ』から数えて18年ぶりである。当時の中二もいまや中年。こちとらそれなりに目も肥えた。作り手はさぞや斬新で深淵な何がしかを、満を持して思いついたのであろう――劇場公開時、そんな期待を胸に『マトリックス レザレクションズ』を観に行き、正直に言うと大いに戸惑った。そこには、目に見えて革新的なアイデアは示されていないように思えたからだ。
前3部作を冷笑する、大胆不敵なメタ視点
特に序盤はもう、笑っていいのかどうかわからないくらいに、メタ、メタ、メタ。前3部作のセルフパロディ、相対化、冷笑を連発、「あの熱狂はなんだったのか?」への解答をわずか数分の“会議シーン”で済ませてしまっているのだ。
順を追って説明しよう。『マトリックス レザレクションズ』において、主人公ネオ=トーマス・アンダーソン(キアヌ・リーヴス)は天才ゲーム・クリエイターとして登場する。『マトリックス』トリロジーは彼が作った名作ゲームであり、その偉業により彼は業界内外で神と崇められている。しかし当の本人は“ミッドライフ・クライシス”(中年の危機)に陥って心を病み、セラピーに通う日々。繰り返される単調な日常、自分の存在価値とは?これは本当に、自分が望んだ現実なのか?伸び切った長髪に無精ひげ、所在なげで憂鬱な表情。現実世界でもよくありそうな、リアルなシチュエーションだ。
ある日、続編の企画会議においてトーマスの同僚(演じるはクリスティーナ・リッチ!)がリサーチ会社の調査資料を手にこう語る。「重要なキーワードは“独創性”と“新しさ”よ。『マトリックス4』の命だと思って」。続いて、社員同士が「マトリックスとは?」について熱い議論を交わす。やれ精神ポルノだの、バイオレンスだの、灰色の世界で人々が求める啓示の光だの、結局のところバレットタイムに尽きるだの。さらには、「ワーナーがオリジナルのクリエイター抜きでもつくると言っている」という、これまで幾度となく繰り返されてきたであろう現実の製作事情さえも劇中人物に言わせてネタにする。まさに、筆者をはじめ、多くの人々が『マトリックス』の新作に対して求めていたこと、勝手に思い込んでいたことを看破し、映画開始早々に茶化しているのだ。なんたる大胆不敵さ。なんたる余裕。
ラナ・ウォシャウスキー監督はそうやって、「あなたたちが期待していたのはこういうことだろうけど」と最初に釘を差し、以降、彼女がいま語るべきだと感じる物語を悠々と転がし始めるのだ。
「緑の箱の中から出る」ということ
ラナ・ウォシャウスキー監督は、長年にわたって『マトリックス』の続編プロジェクトを断り続けてきた。もうあの物語は完結した、これ以上語るべきものはなにもないと。そんな彼女の考えを大きく変えた出来事、それは愛する両親の死、そしてトランスジェンダーとしての苦悩だったという。ネオとトリニティーを“復活”させ再び新たな道を歩ませようとする『レザレクションズ』に取り組むことは、傷心のラナが再び現実世界と向き合う、いわばセラピーのような役割を果たしたと言える。
そんな彼女が『レザレクションズ』で徹底的にこだわったのは、本能的・有機的であることだった。すべてが完全にコントロールされて人工的・意図的だった前3部作とは正反対と言っていいだろう。最も象徴的なのが照明だ。3部作ではほとんどがセットに組まれた人工照明だったが、『レザレクションズ』は太陽光を積極的に用いた自然なライティングになった。
アクションも、3部作では事前に用意された絵コンテやプレビズのとおりに映像化していったが(それが結果的に革新的な映像を生むことにもつながったのだが)、『レザレクションズ』では役者の動きもカメラワークも現場でどんどん変更が加えられていった。ときには監督がランチで思いついたアイデアをレストランのナプキンに書いてスタッフに渡し、そのメモをもとに午後の撮影が進められたことすらあったという。
ラナ自身はこれらの変化を「緑の箱の中から出る」と表現している。夢想がちなオタクであった若きウォシャウスキー兄弟がなにからなにまで計算づくで作り上げた『マトリックス』3部作とは対照的に、ラナがさまざまな人生経験を経て現実と向き合い、(人生において付き物である)不確実性をも愛せるようになった結果が『レザレクションズ』なのだと考えると、本作の演出も物語も、なにもかもがすとんと腑に落ちてくる。
大人になったウォシャウスキー姉妹の“選択”
こうしてラナは、『マトリックス』の続編を作り、緑の箱の中から出てこの世界の不確実さを受け入れるという“選択”をした(言うまでもないが、“選択”は『マトリックス』シリーズにおける最重要テーマのひとつだ)。一方で、3部作のもうひとりの監督、リリー・ウォシャウスキーは、自身の中で続編を作る意義を見出だせず本作には参加しないことを決断した。リリーもまた、ラナ同様両親の死と自身のジェンダーアイデンティティに苦悩してきたが、「『マトリックス』に戻らないこと」がリリーにとっての“選択”であり、人生における前進だったのだ。これまで常にコンビで作品を作ってきた2人が袂を分かつという“選択”をしたのも、またひとつそれぞれの人生における前進のように思える。
かつて世の中二病たちを虜にした『マトリックス』を生み出した神=ラナ&リリー・ウォシャウスキーはいま、現実と向き合い、この世界と自己を再び捉え直し、その意識をアップデートしてみせた。そして『マトリックス レザレクションズ』を通して我々に問いかけているのだ。あなたは中二病を卒業したか?現実と向き合い、この世界で生きていく覚悟を決めたか?と。
文/西川 亮(DVD&動画配信でーた編集長)