2022年の日本社会の“本当の姿”を暴いた『夜を走る』。佐向大監督はいかにしてこの傑作をものにしたのか?【宇野維正の「映画のことは監督に訊け」】
宇野「映画では、どのあたりの作品からの影響が大きいんですか?」
佐向「1960年代、70年代のアメリカンニューシネマですね。デニス・ホッパーだと『イージー・ライダー』というより『ラスト・ムービー』。あと、ジョン・ヒューストンの『ゴングなき戦い』だとかモンテ・ヘルマンの『断絶』だとか。大きなムーブメントのようなものが通り過ぎた後に『どうすんの?これから』みたいな、それでも生きていかなきゃいけないっていう状況を描いた作品が心情的にはもっともシンパシーを覚えるんです。日本映画だと、やっぱり黒沢(清)さんとか青山(真治)さんの90年代の作品はすごく好きでしたし、その前の藤田敏八さんあたりの作品もずっと好きですね」
宇野「なるほど、よくわかります。『夜を走る』ってなかなかジャンル分けしにくい作品なんですが、言葉にするなら ”ファックトアップ・ムービー(fucked up movie)”だと思ったんですね。いま挙げられた作品も、大体登場人物がファックトアップしている。みんな生きることにうんざりしながら、それでも重たい足を動かし続けているというような。ベトナム戦争以降の70年代のアメリカにはそういう気分が蔓延する社会背景があって、90年代の一部の日本映画にもバブルで浮かれていた社会に取り残された者たちによるオルタナティブという意義があったように思うんですよ。ただ、今回『夜を走る』を観て思ったのは、これはオルタナティブでもなんでもない、2020年代の日本そのものじゃないかということで。だからこそ、自分はこの映画を審美的に評価するだけじゃなく、いま観られるべき作品だと言いたいんです」
佐向「当初考えていたものから、特に後半部分を大きく変えたと言いましたが、その理由の一つは当然、コロナの影響でした。別に、コロナの前だってなんにも順調になんていってなかったですけど、脚本を書いて、稿を重ねているなかでコロナ禍に入って。この映画がオルタナティブなものではなくて、現実の延長として受け入れられるとしたら、それも一因かなと思います」
宇野「最後の高速道路のサービスエリアのシーンとか、現在の、 コロナが終わったのか終わってないのかさえよくわからないこの居心地の悪い空気が完璧にキャプチャーされていて、驚かされたんですけど」
佐向「いまの日本のこの空気をどこかに刻印しておかなきゃいけないという意識はありました。作品の中では、一応終わっている設定なんです。『ワクチンまだ打ってないわけじゃないだろう』とか言ってるし。でも、脚本を書いている時は、みんながこんなにちゃんとワクチンを打つなんて思っていなかったんですよ。『こんなことになっていたりして』という、少し近未来ぐらいのつもりで書いたものが、そのまま現実になったような不思議な気持ちですね。サービスエリアのシーンは、最後に現在の日本と地続きな世界をポンと置こうかなと思ったんです。彼はこのあとも、ずっと同じような日常を生きるんだろうなっていう感じで終わらせたいなと思ったんで」
宇野「『夜を走る』は洗車機で始まりサービスエリアで終わる映画という、象徴的なシーンの多くが車絡みの作品ですよね。先ほどおっしゃったアメリカンニューシネマからの影響というのもあるとは思うのですが、それだけではない執着のようなものも感じます」
佐向「最初から洗車機で始まる映画にしたいと思っていたんです。こちらは動いてないのに洗車ブラシが移動していくとまるで車が進んでいるように感じる。この作品の根底にあるテーマがまさにそれだったので。あとは車絡みの画が好きだから…としか言えないですね(笑)。車窓から見える風景自体が、横長のシネスコみたいなサイズじゃないですか。その風景がずっと流れていくのを見るのも、生理的に好きなんですよ。あと、実は車って密室じゃないですか。密室で、2人が同じ方向を向いているっていうのも、日常のなかでほかにはない非現実的なシチュエーションで好きなんです。前作『教誨師』でさえ、あれはほとんど室内だけの作品ですが、最後だけはどうしても車に乗らせたいなと思って、そういうシーンを入れました。車って、閉塞感と開放感が同時にあるところがおもしろいんですよね」
宇野「しかも、乗っている車は、なんの変哲もない営業車だったり、軽トラだったり、あくまでも“移動の道具”としての車で。車に対してのフェティシズムというより、車での移動に対するフェティシズムっていうことですよね」
佐向「そうです、そうです。いい車が好きとかじゃなくて、労働に結びついていたり、生活に結びついていたり、映画の登場人物が本当に乗っているような車を撮るのが好きなんですよ。もちろん、自分が乗るならこういう車に乗りたいとかはあるんですけど(笑)、映画で車が悪目立ちするのは絶対違うよねという思いもあって」
宇野「いや、本当その通りで。日本のインディーズ映画で、車関連の描写がこんなに的確な作品ってなかなかなくて、そこにも個人的にすごく感動しました。あとやっぱり、撮影の渡邉(寿岳)さんの貢献もかなり大きいんじゃないかと。渡邊さんと組まれたのは初めてですよね」
佐向「初めてです。もともと(主演の)足立智充さんが草野なつか監督の『王国(あるいはその家について)』でご一緒されていて、足立さんからの推薦だったんです。で、ちょうど渡邊さんが、コロナ禍にリモート舞台の中継で、森山未來と黒木華が出ている『プレイタイム』っていう配信の有料コンテンツをやっていて。舞台裏からラストまでワンカットで撮っている作品だったんですけど、それがあまりにもすごすぎて。舞台裏の機械を撮る感じとかものすごくよかったんで、この感じでスクラップ工場を撮ってほしいと思ってお願いしたんですが。普段は映画の撮影よりも、いわゆる現代アートをやる方と一緒にやることが多い方ということもあって、彼のおかげでルーティン的な日本映画の画から抜け出すことができたかなって」
宇野「いや、本当に。移動撮影にこだわりのある佐向監督ともめちゃくちゃ相性がいいと思いました」
佐向「まだ30代の若い方なんですよね。というか、そもそも今回の『夜を走る』って、本当はデビュー作だったり30代で撮っておくべき映画だったと思うんですよ」
宇野「確かにそれはそうかも(笑)」
佐向「だから、これからどうしようかなって(笑)。映画業界で仕事をしていて、気がついたら50歳になっていて。50でこんな映画を撮ってていいのかっていう思いはすごくあって」
宇野「いや、それは全然いいんじゃないですか?」
佐向「でも、もう少し人が入るような作品性に向かっていかないと、これで食っていくのは難しいと思うんです。今回、お金集めからキャスティングからすべてに関わったわけですけど、これを50代に入ってからまた繰り返すのは正直しんどい(笑)」