水谷豊監督と町田啓太が語り合う、"宝物”のような師弟関係「僕も水谷さんのように歩みたい」
「映画監督は、僕の夢だった」(水谷監督)
――3作目の監督作として、アマチュア交響楽団を題材にした映画を作ろうと思われたきっかけを教えてください。
水谷「監督としての1作目である『TAP -THE LAST SHOW-』には、長年抱いていた自分の思いの丈を込めました。2作目は、僕がサスペンスを描いたとしたらどのようなものになるだろうかという考えから始まって、『轢き逃げ 最高の最悪な日』が完成して。できれば、60代のうちに3本の映画を撮りたいと思っていたんですが、そうは言っていながらも、まさか本当にできるとは思っていませんでしたね。そんななか『これは3本目もできるぞ』となった時に、ユーモアを大切にした作品にしたいと思ったのは、自然な流れだったかもしれません。『クラシック音楽の世界にはおもしろい人間模様がありそうだ』というアイデアと、ユーモアを散りばめた人間関係を描きたいというところから、脚本に取り掛かりました」
――もともと、いつかは監督をという夢を持たれていたのでしょうか。
水谷「夢でしたね。でも昔、丹波哲郎さんに『映画に出るのはいいけれど、作ろうとするととんでもない目に遭うぞ』と言われたことがあったんです。『水谷、作るのはやめたほうがいいぞ』と(笑)。そう言われながらも、どこかでやってみたいなとずっと思っていたんです」
町田「僕はきっと、尻込みしてしまいます(笑)。水谷さんはやりたいことや、作りたいという想いを形にして、実現させていますよね。それって並大抵の覚悟ではできないと思うんです。本当にすごいなと思います」
水谷「おもしろいもので、俳優をやっている時は『監督って大変だな』と感じるんです。朝から晩まで俳優さんみんなのことを考えて、すべてのキャラクターの人生を考えて、質問されたらなんでも答えて…。『これは、僕にはできないんじゃないかな』と思う。でも監督をやっていると、『俳優は僕にはできないな』と思うんです(笑)。セリフをしっかりと覚えて現場に入って、監督が思いついたことをすぐに演じてみせないといけない。『俳優って、大変だなぁ』って思いますよ(笑)。これは両方をやっているからこそ、湧き上がってくる気持ちかもしれません」
――そういったなかで、水谷監督にとって“監督業の醍醐味”とはどのようなものですか。
水谷「監督には、『みんながどこへ行くのか』『どこへたどり着きたいのか』という方向性を決める責任があります。監督の示す方向、向かう先が間違っていたら、その作品は失敗してしまいます。そして監督が方向性を決めたあとに、そこに向かって進んでくれるのは俳優さんたちであり、スタッフさんなんです。監督は、それを見ているわけです。みんながよい方向に突き進んでいるのを見ている…というのは、本当にいいものです。この世界、感覚は監督じゃないと味わえないものだと思います。今回はユーモアを大切にした作品ですが、ユーモアでなにかを表現するというのはとても難しいこと。アメリカの役者さんと話す機会があると、『最終的に自分はシチュエーションコメディをやりたい』という人が圧倒的に多いんですね。それくらいコメディはやりがいがあり、演じきった先にはすばらしい世界が待っているものだと感じています」
――本作の撮影では、皆さんが一体となっていい方向に進んでいる姿をたっぷりと目にできたわけですね。
水谷「そうなんです。だから僕の笑い声が入って、NGになってしまうんです(笑)」
町田「監督の笑い声が聞こえてくると、安心するんです。できればもっと笑ってほしいと思ってしまう(笑)。たぶんほかのキャストの皆さんも同じ気持ちだと思います」