フェミニストTシャツ、バレンシアガのセットアップ…『パラレル・マザーズ』『ヒューマン・ボイス』のファッションが優美に物語る“自由”
バレンシアガの真っ赤なドレスは、さらされた彼女の心のよう
ペドロ・アルモドバル監督が、ポストパンデミックの私たちに届けてくれた作品がもう一つある。ジャン・コクトーの戯曲を監督初の全編英語劇に翻案し、ティルダ・スウィントンが一人芝居で主演を務めた『ヒューマン・ボイス』(11月3日公開)だ。別れることになった恋人とのいきさつが、彼との電話の会話だけで展開していくストーリー。
彼とは4年もの間、一緒に過ごしたが、彼の気持ちは戻ってこないようだ。ただ、物理的に戻ってくる予定にはなっている。部屋には彼の荷物があり、それをまとめて返す約束をしたからだ。いつ、スマートフォンがなるかはわからない。だから、次の対面がいつになってもいいように、最高に美しい自分でいる必要がある。できれば、荷物を渡す時、彼がやはり君を失いたくない、と言わせるほどに。だから、彼女はバレンシアガの真っ赤なドレスを身にまとい、待つ。しかし、彼は来なくて、赤のドレスは、まるでえぐり取られてさらされた彼女の心のようだ。
彼はそつがない男なのだろう。彼女の中で彼を象徴するような、黒のシングルブレストスーツや、アルミのスーツケース、クラシックなラゲッジ、ロエベのダッフルバッグなどの持ち物が、彼がどんな男なのかを想像させる。レオパード柄のチェアや灰皿として使うこともあるのかもしれないプレートなど、一緒に暮らした部屋のインテリアを見ても、それがわかる。美しいものが好きで、ドラマティック。そういう男との恋愛は、その最中は天国だけど、別れは地獄だ。彼はきっと、自分より美しいものを見つけたのだろうと簡単に予測できるから。私に注いだあの情熱は、別に向けられているのだろうから。
“このもやもやをぶった切る!”つもりで彼女は刃物を買いに出かける。その時に彼女が選んだのは、バレンシアガ、2020年リゾートコレクションで発表された、ターコイズブルーのセットアップスーツだ。そのルックには、刃物が入る大きめのシャネルのトートバッグを合わせている。シャネルはそのほかにも、バニティケースなどで頻出する。シャネルはラグジュアリーメゾンのトップに長く君臨するブランドだが、そのラインナップはとても幅広く、意外に遊び心があって現実的なライフスタイルに合うアイテムを多く展開している。きっと、いくつかのシャネルアイテムは、付き合っている間の彼からのプレゼントなのだろう。
どんな女として生きていきたいか。意志表明のようなファッション
「もしかしたらアシスタントに荷物をピックアップさせるかもしれない」と彼は言う。“この意気地なし!”と思いながらも、実は自分が一番残念がっていることに気がつく。ドレスアップしても、出かける先のないロックダウン時のような、あの行き場のない孤独といら立ちとリンクする。本当に愛した人だから、翻弄され、揺れ動き、人生は終わったとまで思い詰めたけれど、そこまでの極限に達したら、彼女はふと思うのだ。「彼の好きな色や、スカートやドレスなど好みのとおりに着飾って、振る舞う。私って、そんな女だったっけ?」本当の意気地なしは、私のほうなのではないか。
自分にもともとあった意気地に気づいた彼女は、とある行動に出るのだが、その時身に着けるのは、ドリス・ヴァン・ノッテンのレザージャケット。インナーは女性らしさのあるフラワープリントだが、たんにキュートではなくて、どこか意思の強さを感じさせる花柄。レザーのアウターは、反逆心すらみてとれる。彼女は、今後どんな女として生きていたいのかを決めたのだ。
恋愛、仕事、家族。人生には様々な“戦場”が待っている。けれど、大丈夫。人生は思うほど悪くない。とびきりのおしゃれをして、自分らしく、明日に向かって進んでいけば、運命の女神は、きっと私たちにほほ笑む。『パラレル・マザーズ』と『ヒューマン・ボイス』で描かれる、強くて美しい女性たちが、それを教えてくれた。
文/八木橋 恵