行定勲とジュリー・テイモアが語り合う、“映画と演劇”「観客の理解度を馬鹿にしてはいけない」
11月2日(水)まで開催される第35回東京国際映画祭で1日、「国際交流基金×東京国際映画祭 co-present 交流ラウンジ」が開催され、コンペティション部門の審査委員長を務める演劇・オペラ演出家で映画監督のジュリー・テイモアと、「Amazon Prime Video テイクワン賞」の審査委員長を務める行定勲監督が登壇した。
今年で3年目を迎えた「国際交流基金×東京国際映画祭 co-present 交流ラウンジ」は、国内外の映画人がそれぞれのテーマでトークを繰り広げる対談企画。その最終日を飾ったテイモア監督と行定監督は、共に映画と演劇の両方で演出家として活躍。今回の対談でも“映画と演劇”をテーマに語り合う。
ブロードウェイ・ミュージカル「ライオン・キング」の演出家として名を馳せ、女性監督として初のトニー賞を受賞したテイモア監督は、ウィリアム・シェイクスピアの悲劇「タイタス・アンドロニカス」を映画化した『タイタス』(99)で劇場用映画監督デビュー。その後、フリーダ・カーロの生涯を描いた『フリーダ』(02)や、ザ・ビートルズの楽曲を使用したミュージカル『アクロス・ザ・ユニバース』(07)などを発表。フェミニズム運動の活動家グロリア・スタイネムの伝記映画『グロリアス 世界を動かした女たち』(20)が今年日本公開された。
「映画ではリアルに、演劇ではより詩的に表現することができる」(テイモア)
行定「まさかこんな大役を仰せつかるとは思いもしませんでした。僕も映画と演劇をやらせていただいている身として、今日の対談は非常に楽しみにしてきました」
テイモア「ありがとうございます。私の人生において日本がどれだけ大切な国かは、私の作品を見ていただければお分かりいただけるかと思います。初めて来日したのは21歳か22歳の時。ビジュアルシアターの研究で奨学金をもらい、東欧とインドネシア、そして日本を回りました。その時に出会った能や歌舞伎、文楽、そして黒澤映画が、私の演劇人生にも映画人生にも強い影響を及ぼしたのです」
行定「早速ですが、近作の『グロリアス』を拝見いたしました。一人の女性人権活動家の伝記映画として観始めたのですが、テイモアさんが使った手法は単なる伝記の枠にとらわれず、一人の女性の心の旅として受け止めました。一人の女性の4つの時代が、同時に同じバスに乗っている様は、自問自答を繰り返す、とても演劇的な表現と思いました。女性と共に旅をしながら、彼女が苦悩したり喜んだり、活動を進めていきながら人生を辿っていったんだという伝記を、親近感をもって見られる。彼女の人生を具現化するものとして、あのバスという発想が観客にとって助けになっていると思いました」
テイモア「おっしゃる通りで、あの映画は一人の女性の80年の人生を描いています。グロリアさん本人が書かれた自伝の『My life on the Road』が原作となっていて、脚本を作る時には“イデオグラフ”という抽象的な表現によって、核になるところを考え、時系列で描写するのではなく物事やできごとをまとめ上げる原理、原則を見つけることに注視しました。長い長い人生を一つのストーリーに集約するロードムービーであり、旅をする女性、そして道。映画にそうした型を与えていこうと思ったことで、通常の映画とは違った時間軸の動かし方で描くことができました。
私はアーティストとしていつも“イデオグラフ”を考えています。『ライオン・キング』では“サークル”がまさにそれでした。ムファサのマスクや、せり上がってくるセット、水を描くときの水面とすべて円を用いて表現しましたし、そしてなによりも“サークル・オブ・ライフ”。また日照りのシーンを描く際には伝統的な日本の表現に通じる方法を取りました。映画ではリアルに表現できますが、演劇ではより詩的に表現することができる。これは映画の作り手にとっても非常に有用なトレーニングになるのではないでしょうか」
行定「なるほど。お話を聞いていて、とても腑に落ちることばかりです。女性の人生を描く、4つの世代の人たちのイデオグラフのあり方が、4つのシークエンスで呼応していく。そして時代を超えて自分と自分とが対話をし、そこにものすごい感動が生まれる。それは演劇ではありえるけれど、映画ではなかなか作ることができない瞬間だったと思います」
テイモア「実はあれは原作から頂いたアイデアなのです。グロリア自身の言葉で書かれているなかで、彼女は若い頃の自分と対話をしている。どこかの時代に根ざしているのではなく常に旅をしているバスのなかで、内なる自分や若かった自分と対話をするというアイデアを思いついてグロリアさんに伝えたら、彼女は『道を歩いていて反対側に若い頃の自分を見る時がある。その時の自分に、いま持っている知識や経験があったら、あの時の私はあの時と同じ行動をしたのかと内なる対話を持つ。それを本に書いた』とおっしゃいました。
それをヒントにして、私も映画でそれを描くことにしました。内側で起きていることを外側に持ってきて映画で描く。なぜこの手法を取ったかというと、やはりこれは映画だから。ストーリーをカラーで描き、バスでの内なる対話を白黒で描くと、観客も両者の違いをわかってくれると思ったのです」